学校法人盈進学園 盈進中学高等学校

ホーム日本代表としてバチカン市国に派遣。ローマ教皇と面会

日本代表としてバチカン市国に派遣。ローマ教皇と面会

2017年度高校2年生・重政優さんが、「バチカン市国・日本国交樹立75周年記念作文コンクール」で最優秀賞をいただき、日本代表としてバチカン市国に派遣され、ローマ教皇(フランシスコ法王)と面会、対話しました。

重政さんは、ローマ教皇に、「核廃絶のためにお祈りしてください。広島・長崎を訪れ、被爆者の方々の手を握ってください」と伝えました。すると、ローマ教皇が真剣な表情になり、「Don’t forget」と重政さんに伝えたそうです。

それからまもなくして、カトリック教会のローマ法王庁(バチカン)が2017年末、教会関係者に向け、1945年に原爆投下を受けた後の長崎で撮影された写真(「焼き場に立つ少年」)入りのカードを配布しました。フランシスコ法王(教皇)が配布するよう命じたもので、教会関係者によると、法王(教皇)が年末にカードを配布するのは異例。「核なき世界」を訴えてきた法王が出した強いメッセージと受け止められています。

・重政優さんの最優秀作文はこちら [LINK]
・重政優さんのバチカン派遣レポート(簡易版)はこちら [LINK]
・「焼き場に立つ少年」の情報はこちらなどから
→https://www.asahi.com/articles/ASL124Q7HL12UHBI009.html [LINK]
→https://www.cnn.co.jp/world/35112697.html [LINK]

私(重政優)は、ローマ教皇に、自分の作文、広島の平和のシンボルである折り鶴と、自分が生まれ育った福山の平和のシンボルである折りバラを添えて渡させていただきました。(福山は1945年8月8日、空襲によって市街が焼き尽くされ(福山空襲)、その後、バラを植えることによって、町を復興させようと、先人たちが努力してきました。だから、「折りバラ」がいっしょにあるのです)

そのとき私は彼に、“ I’m from Hiroshima.”と伝えました。すると、それまで柔らかな笑顔だった彼の表情が真剣な眼差しに変わり、私をじっと見つめました。“ Pray for us to abolition nuclear weapons. ”と続けると、彼は“The atomic bomb is scary. We never forget them.(原爆は本当に恐ろしいものだ。決して忘れてはならない)”と、私たちに力強く語りかけてくださいました。教皇様が自ら私の手を取り、“Don’t forget”と言ってくださったときのことは、今でも鮮明に覚えています。また、湯崎知事の思いも伝えなければならないと強く感じ、「どうか被爆地ヒロシマ・ナガサキに来て被爆者に会ってほしい」としっかりアピールし、伝えました。


重政優さんのレポート

私は、盈進高等学校二年の重政 優(しげまさ ゆう)です。昨年12月11日、盈進学園の鎌刈理事長先生、校長先生、担任の先生とお伺いした際には、あたたかい激励のお言葉をくださり、ありがとうございました。 知事からお言葉をかけていただいて以来、それは、私の大きな力になっています。心から感謝申し上げます。

昨年12月19日~25日の6日間、まさにクリスマスシーズン真っ只中のバチカン市国やローマなど、イタリアの主要都市に派遣していただきました。

私は、被爆地ヒロシマに生まれ育つ者として、そして、被爆地広島と長崎を代表して、自分の果たすべき役割を胸に抱いて行かせてもらいました。四百年以上前に天正遣欧少年使節団が見た景色を自分たちも見ているのだという事実に深い感動を覚えました。

私たちは、水曜日に行われる教皇一般謁見に参加させてもらいました。特別席を用意していただき、在バチカン中村芳夫大使と最前列で、お話を拝聴することができました。謁見後、今回派遣していただいた私を含む高校生四人分の世界平和への願いを綴った作文を、私が代表して手渡すという使命をいただいており、教皇フランシスコに直接お渡しすることになりました。

私は作文に加え、広島の平和のシンボルである折り鶴と、自分が生まれ育った福山の平和のシンボルである折りバラを添えて渡させていただきました。(福山は1945年8月8日、空襲によって市街が焼き尽くされ(福山空襲)、その後、バラを植えることによって、町を復興させようと、先人たちが努力してきました。だから、「折りバラ」がいっしょにあるのです)

そのとき私は彼に、“ I’m from Hiroshima.”と伝えました。すると、それまで柔らかな笑顔だった彼の表情が真剣な眼差しに変わり、私をじっと見つめました。“ Pray for us to abolition nuclear weapons. ”と続けると、彼は“The atomic bomb is scary. We never forget them.(原爆は本当に恐ろしいものだ。決して忘れてはならない)”と、私たちに力強く語りかけてくださいました。教皇様が自ら私の手を取り、“Don’t forget”と言ってくださったときのことは、今でも鮮明に覚えています。また、湯崎知事の思いも伝えなければならないと強く感じ、「どうか被爆地ヒロシマ・ナガサキに来て被爆者に会ってほしい」としっかりアピールし、伝えました。

私たちが帰国後、教皇様は長崎の「焼き場に立つ少年」の写真を世界中に配布するように指示されました。私はこのことを知り、あの時私たち、広島・長崎という被爆地の、また、日本という被爆国の核廃絶の思いが少しでも教皇様に届いたのかもしれないと思うと胸が熱く感じました。日本から遠く離れたところで、核兵器廃絶、絶対平和、そして被爆者の方々に祈ってくださっているのだと確信しています。

“Small is beautiful”. 私が大好きな言葉です。故・森瀧市郎先生のことば、核廃絶への信念でもありました。今回の派遣と直接の対話は、長年に渡る被爆者の方々の小さな積み重ねと連帯があったからこそ起きた奇跡です。イタリア滞在中、私の心はいつでも被爆者の方々と共にありました。教皇様を含む今回面談をさせていただいた全ての高官の方々は「若者の手で平和な世界を築いてほしい」と言われていました。被爆者が次々と亡くなる現実。私たちは平和のバトンを確かに受け取りました。

たくさんの人の応援があったからこそ、このように、確かな学びを得て帰ってくることができました。

知事をはじめ、県民のみなさま、被爆者の方々など、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。改めて、これからもずっと被爆者の方々と共に地道に謙虚に活動していく決意をします。

寒い日がまだまだ続きます。どうかお体ご自愛ください。

2018年2月8日 盈進高等学校2年 重政優(しげまさゆう)


EISHIN DIARY バチカン市国派遣報告① [LINK]
EISHIN DIARY バチカン市国派遣報告② [LINK]
EISHIN DIARY バチカン市国派遣報告③2日目 [LINK]
EISHIN DIARY バチカン市国派遣報告④3日目 [LINK]
EISHIN DIARY バチカン市国派遣報告⑤4日目 [LINK]

各種ご案内

TOP