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2015国連NPT 活動報告

2015年06月03日

015 NPT再検討会議  NY国連派遣報告(抜粋)

高1・作原 愛理

高3・坂本 知彦

【4月27日 ヒロシマ・ナガサキアピール集会inニューヨーク / 坂本】

・・・私と徳元君(沖縄尚学高校)らは、「ユース非核特使」の代表で、国連総会議場の上階(傍聴席)にいました。岸田外務大臣が、日本代表スピーチの途中、私たちの方に手を向けて、「今日は、日本の外務省が委嘱した『ユース非核特使』もこの議場に来ています」と、私たちを紹介してくださいました。私たちはその場で起立し、世界各国の代表者に一礼しました。その時、国連総会議場から大きな拍手が起きました。その拍手には、これからの世界を担う若者に期待する意味が含まれていたと思います。日本には被爆者の方々の思いを受け継ぐ若者がこうしているんだ、ということを世界にアピールできた瞬間でもありました。私は、その中の一人として紹介していただいたことに感謝し、また、核廃絶への責任をこれからもずっと果たしていこうと思いました。

【4月29日 ガンバさんとの面会 / 作原】

ガンバさんはアルゼンチン出身の国連軍縮担当次席上級代表だ。軍縮分野でもかなり活躍されていることだけは理解していた。・・・ガンバさんのお話の中で忘れられないことばがある。「人間は無限の想像力を持っている。戦争に対しも、人々を助けるのにも、その想像力を使わなければならない」「みなさんは広島、長崎、沖縄の犠牲者ではない。でも直接話を聞いた。つまり証人となった。もし、体験者が亡くなっても、みなさんは証人として生き続けることができる」

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【4月30日 2015平和首長会議主催「ユースフォーラム」 プレゼン当日 / 作原】

プレゼン当日。ホテルでも合間をぬって最後の発音練習をした。・・・盈進の番が来るまで、他校のプレゼンを聞きながら、これまでのことが一気に蘇ってきた。発音がうまくできずその悔しさで毎日半泣き状態で練習していたこと、自分の下手さに英語を発音することさえ嫌になったこと、それでも「絶対にあきらめない!」と自分に言い聞かせたこと、そんな私を明るく励ましてくれた先輩方や仲間のこと、加藤貴光さん(20年前の阪神大震災で亡くなる。国連職員になるのが夢だった。彼の遺影が“同行”していた)のこと、りつこさん(貴光さんの母)の姿・・・たくさん失敗して、悩んだからこそ「絶対うまくいく」と自分を信じることができた。

いよいよ私たちの番。クラブの仲間全員が写っている写真をポケットにそっと入れ、みんなの思いまで伝えることをもう一度確認した。「貴光さん!見守っていてください」と思いながら、机に遺影を置いた。被爆者の方々をはじめ、貴光さん、りつこさん、東北の被災者の方々、先生方や仲間、活動中に出会ってきた方々すべてに見守られ、応援してくださっているような感じがした。昨年、派遣された小川千尋先輩や箱田麻実先輩も同じようなことをおっしゃっていた。「こういうことだったのか」と思った。

「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」。これは被爆者の復讐や敵対を超えた素朴で崇高な平和への思想。そして、全ての非人道性の出来事にも通じる思い。この思いを絶対に届ける。

プレゼンが始まり、一つひとつの単語に思いを込めて発信した。私はいつも、大事な場面では頭が真っ白になるのに、なぜか全く、そうならなかった。何も怖くなかったし、いつのまにか不安も消えていた。私はうまく発音できない。だからそれを少しでもカバーしようと、誰よりも笑顔で明るくプレゼンしたつもりだ。

プレゼン中、ずっと仲間の顔を思い浮かべていた。被害のみならず加害も学ぶこと、地元福山から学んだことを中心に発信した。・・・また、福島を中心とした国内外で、放射線被害で悲しむ人々の思いも伝えさせてもらった。少しでも思いが伝われば・・・。そう願いながら最後までやりきった。・・・プレゼンが終わり自分の席に戻ると、拍手をたくさんいただいた。うれしかった。これまでの努力が実を結んだ気がした。

【4月30日 2015平和首長会議主催「ユースフォーラム」 プレゼン当日 / 坂本】

・・・ホテルから国連に行くまでの道のりは緊張しすぎて、どうにかなりそうでした。・・・いよいよ盈進の出番。いざ前に立ち、辺りを見渡すと、松井広島市長や田上長崎市長、NGOや各国の代表の方々がこちらを真剣な眼差しで見ていました。・・・間違えたっていい、自分たちが伝えるべきことを精一杯伝えよう。そう思うと不思議と緊張が和らいでいきました。・・・「Thank you for listening!」。本当に大きな拍手をいただくことができました。・・・席に戻ると、前に座っていた方がこちらを向き、「すごくよかった」と言ってくださり、握手をしました。私たちが伝えたかったことはこうしてきちんと伝わっている、と思うと嬉しさで胸がいっぱいになりました。・・・


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【おわりに / 作原】

・・・将来、どんな職業に就いたとしても、今回学んだことを伝え続けていくことを約束します。核廃絶はヒロシマ・ナガサキの、そして日本の悲願なのだから。福島を含む、世界の放射能被害者の方々のことも忘れず、「ノーモア・ヒロシマ・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ」の声は発し続けます。

【おわりに / 坂本】

今回の派遣、は本当に多くの人たちの平和への思いが集まってできていると思いました。・・・先輩・先生方(女学院や沖縄尚学、盈進中高など)がこれまでの道のりを作ってきてくださり、そのバトンが私たちに渡ってきたことによって、今回のような機会を与えていただけました。次は私たちが今回の派遣で感じたこと、学んだことと共に次の世代にこの希望のバトンを繋いでいきます。
これまで活動の中で出会った多くの方々、いつも支えてくださった家族、苦しい体験を抱えながら、核なき世界を目指し、生き抜いてこられた被爆者の方々やご家族。その誰もが私たちに勇気を与えてくださりました。「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」。この素朴で崇高な被爆者の方々の平和への思想はこれからもずっと私たちの活動の原点であり続けます。そして、わたしは、この経験を生かして、核廃絶のための活動をあきらめず、続けていくことを誓います。・・・

【追記 / 坂本】

先日、2015年のNPTは、決裂して会議が終わってしまいました。「核兵器禁止条約締結への努力」「核使用の非人道性を指摘する文面」「世界の為政者に広島・長崎を訪れるよう促す文面」。大きくこの3つが盛り込まれませんでした。それはとても悲しいことでした。とりわけ、被爆者の方々が悲しんでいらっしゃると思います。各国それぞれの思いがあってのこと、特に、核保有国の傲慢さ、核廃絶の意志の低さが浮き彫りになったと思います。しかし、この状況にあっても決してあきらめず、世界が核廃絶に向けて歩むことができるように、努力し続けないと行けないと、私は決心しています。

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外務省 青少年国連視察団 活動報告をごらんの方は、ここをクリック

NPT国連派遣報告8

無事に帰国しました。

5月3日(日)19:00、国連NPT会議派遣高校生一行が無事、広島空港に降り立ちました。悪天候の中、着陸が不可能で、伊丹か福岡に変更の可能性あり、という状況でした。出迎え -ご家族、広島平和文化センター:平和首長会議事務次長・城様ら、学校関係者- もほっとしました。沖縄尚学の平良樹里さん、徳元晋介君は、成田から那覇へ直行、無事到着したと連絡を受けました。

大役を果たした本校生徒の坂本君、作原さん。作原さんはこの日も、阪神大震災で国連職員になるという夢を絶たれた加藤貴光さんの遺影を抱いていました。「3人」はご家族や加藤さんらに出迎えられ、笑顔で帰国しました。

これから校内外、さまざまなところで貴重な体験を含めた報告会が待っています。ピース・ビルダーの役目は続きます。

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NPT国連派遣報告7

5月1日 (金)現地時間 最終日

いよいよ最終日です。今朝も少し早起きして、NY市内視察に出かけました。まず訪れたのは・・・ 念願の「自由の女神」と「エリス島」です。

エリス島は19世紀後半から約60年間にわたって移民局が置かれていました。ヨーロッパからの移民は必ずここを通り、「嘆きの島」とも「希望の島」とも呼ばれたそうです。正確な数は不明ですが、少なくとも1200万人以上の移民が夢を追い求めてここを通過し、アメリカに入国しました。引率のオサラバン先生の曽祖父母も1890年代にアイルランドから移り住む際、ここを通ったそうです。様々な所でつながりがあることを再認識しました。
慌ただしく2つの島を見学したあと、地下鉄でホテルに戻り、制服に着替えて再び国連本部へとむかいました。

午後3時から、NGOセッションの傍聴に参加。今回は本会議場の地上フロアの席で傍聴する事ができ、演説者を間近に見ることができました。

このセッションでは、広島女学院の卒業生で被爆者のサーロー節子さん(2014年度谷本清平和賞受賞)がスピーチをされました。とても力強いスピーチで、「すべての国の指導者は広島・長崎を訪問し、何が起こったのか自分の目で確かめてほしい」と強く訴えておられました。サーロー節子さんは今年の8月には広島に里帰りされます。そして、8月6日の広島女学院主催のPeace Forumの初日、Hibakusha Stories の軍縮教育のワークショップで被爆証言をして下さることになっています。国連での最終日、これまでのことを振り返り、より充実した時間を過ごすことができました。4月27日から訪れていたNew York。そこでたくさんの方々と出会い、本当に貴重な経験をさせて頂いたこと今一度感謝しつつ、明日はいよいよ帰国の途につきます。

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NPT国連派遣報告6

4月30日 (木)現地時間 Youth Forum開催

 いよいよ平和首長会議主催のユースフォーラムがやってきました。

 4校それぞれがこれまでの取り組みや思いをすべて英語でプレゼンテーションをします。この日のために各校の生徒たちは約2か月間発表内容から英文、表現方法、プレゼン効果など何度も何度も調整をし、真剣に取り組んできました。自分達がこれまで学んだこと、被爆者の方々から直接聞いてきたこと、福山空襲やホロコースト記念館のことなど、盈進のそして福山の代表として2人が誠心誠意、被爆者の思い、そして自分達の思いを伝えます。

 この取り組みはメディアも注目しており、広島からのテレビ局や新聞記者の方々など多くの報道陣で会場が満たされました。

 トップバッターは広島女学院。自分たちの活動(街頭署名活動、アーカイブ収録)を紹介しながら、当事者意識を持つことの大切さを訴えます。
次は修道高校です。被爆3世としての思いや戦争に対する意識が薄い若い世代にあっても地道に活動を続けることが大切だと訴えます。

 そしていよいよ本校の出番です。戦争の被害面だけでなく、加害面を学ぶことにも大きな意義があると説明しました。

「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」

“ No one should ever have to suffer as we have.”

これは、被爆者の復讐や敵対を越えた素朴で崇高な平和を希求する思想。

This is the message of the Hibakusha; it contains no feelings of malice or revenge.

平和な地域と世界の構築のために、私たちは、自分達の受けた被害だけではなく、加害としての側面も意識的に学び、連帯していかなければなりません。

For the sake of world peace, we must learn not only the harm that we received but also the harm that we caused. We should learn about events from both perspectives.

 プレゼンテーターの作原愛理さん(4A) 坂本知彦君(6A)の息の合った展開でプレゼンテーションが展開されました。二人のプレゼンテーションをしっかりとサポートして下さった加藤貴光さん。彼がいつもそばにいてくれることで二人も落ち着いてそして力強く、被爆者の思い、そして自分達の思いを世界へ発信する事が出来たようです。
そして最後は沖縄尚学です。沖縄戦と基地問題。ヒロシマと同じく継承の問題を抱える一方、広島にはない基地問題も抱えています。沖縄から核廃絶を訴える思いを熱く全世界へ訴えました。

 プレゼンテーションが終わり少しホッとした派遣団は、地元のStuyvesant High School を訪問し、現地の高校生たちと交流し、世界平和について熱く語り合います。
この学校は全米屈指の進学校で、ノーベル賞受賞者も輩出するほどレベルの高い学校です。昨年に続き、今回も訪問させて頂きました。
「今の時代にあって、核軍縮はどのようになされているのか、またどうして縮小方向に進むべきなのか」という根本的な質問が飛び交いました。ヒロシマから来ている高校生にとっては、「核兵器は廃絶すべきもの」と考えるのが常識だろうと思っていたら、そうではない意見にたくさん出くわし、それはそれで衝撃的ではあったようです。新たな視点から考えて行くことも必要であると考えたようです。

 夕方、スタイベサント高校をあとにし、歩いて 9.11メモリアルへ行きました。

 グラウンド・ゼロ(ground zero)「爆心地」を意味するこの場所で、生徒は犠牲者の方々に思いを馳せ自分たちで作った折り鶴を捧げました。
明日はNPT再検討会議NGOセッション傍聴 ラストです。ニューヨーク滞在の日数も残り少なくなってきました。さらに充実したものとなることを願っています。

国連

NPT国連派遣報告5

4月29日(木)

本日はまず平和首長会議の2015 NY集会を傍聴しました。アンゴラ、タイ、メキシコにある都市の首長さんが表彰されていました。緊張感の残る中、明日のフォーラムの準備に移りました。明日のユース・フォーラムはこのConference Room Cで開催されます。
イメージトレーニングをしつつ、貴重な時間を過ごしました。

また廊下で偶然にもアンゲラ・ケインさん(国連軍縮部上級代表/軍縮部のトップ)にお会いする機会にも恵まれました。

午後からは田邊雅章さんのショートフィルム”What happened that day?”を鑑賞し、映像作家の田邊さんとお話する事もできました。田邊さんは8歳で被爆、家族をすべて原爆で亡くされました。あの日の惨状をCGを駆使し、3Dで原爆投下後の広島を再現、被爆者の想いと共にショートムービーにされました。

出国前に彼女の熱いメッセージを学習し、彼女にお会いできることを心待ちにしていたのですが、ついにその時がやってきました。ヴァージニア・ガンバ氏(国連軍縮部次席上級代表)との懇談です。若者に向けての熱いメッセージをしっかりと受け止めました。
ほぼ一日を国連本部で過ごし、自分達の使命とそしてその責任感を再確認しました。一日の終わりはニューヨーク名物ピザで締めくくり。秋山信将先生(一橋大学大学院教授)、土岐雅子先生(モントレー国際大学院/Critical Issues Forumのコーディネーターさんです)もご一緒され、明日に向けて激励をしてくださいました。様々な箇所でご支援して下さっている全ての方々へ改めて感謝です。

明日はいよいよプレゼンテーション本番! 気合が入ります!!

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NPT国連派遣報告4

4月29日(水)

NYに入って行程は本日で3日目となりました。本日のスケジュールは比較的余裕もあり、
市内研修でニューヨークの街並みに触れる機会も多くありました。
午前中は5番街へ行き、聖パトリック大聖堂、ロックフェラーセンター、ニューヨーク公立図書館を巡りました。歴史と文化を感じさせる建造物に驚嘆の声を発していました。
タイムズスクエアでは年末のカウントダウン時によく見る風景に興奮し、少しリラックスして時間を過ごしました。

9時からは「自治体国際化協会」のオフィスで明日のプレゼンテーションに備えての練習です。ここは全国主要7都市に置かれている協会で、全国の自治体から10人前後の職員の方々が派遣されています。オフィスの一室を借りてのプレゼンテーションの練習。職員の皆さんも聞いて下さり、多くのアドバイスを頂きました。広島の、福山の、盈進の、そして日本の代表として、被爆者の想いを全身全霊で伝えていきます。

1時間以上のプレゼン練習の後はマンハッタン北部へ移動。まずはアイビーリーグの一つで最も古い大学のひとつコロンビア大学を訪問しました。学内にあるメキシコ料理店で昼食をとり、明日の行程およびプレゼンテーションに備えて英気を養いました。
その後セントラルパーク、メトロポリタン・ミュージアム等も訪れ、気分はすっかりニューヨーカー。こうした機会を得られていることに心から感謝です。

また明日からの国連での行程に気合を入れ直しました。

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NPT国連派遣報告3

5年に一度開催されるNPT再検討会議。入場許可証を無事に得、松井広島市長とも正門で記念撮影を行いました。

その後、国連本会議場に入り、開会の時を待ちました。実際に様々な重要会議が行われている会議場で今年も貴光さんと共に入場する事ができました。心より感謝です。

開会では事務総長のステートメント(代読)において、「被爆者は、核兵器の非人道的結末の証人であり、彼らの証言の勇気に報いるために会議は成果を上げるべき」と発表もありました。会議内では各国の外相が現状を報告するなど、実際の国連での動きを目の当たりにした派遣団は興奮気味でした。

午後からは高校生全員が作り、署名実行委員会が束ねてくれた千羽鶴をヴァージニア・ガンバ国連軍縮部次席上級代表に手渡しました。後日ガンバさんには特別に懇談の時間をとって頂くこととなっており、生徒たちも期待を膨らませていました。
夕方には国連本部のロビーのヒロシマ・ナガサキの展示(日本原水爆被害者団体協議会主催)を見に行き被団協理事 坪井直さんの言葉を思い起こしました。

明日(4月29日(水) は平和首長会議2015ニューヨーク集会に出席、その後
田邊雅章氏のフィルム “What happened that day? “ の上映会が行われます。

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4月28日(火)NPT国連派遣報告2

4月26日(日)午後4時半(現地時間) 予定通りNew YorkのJFK空港に到着、マンハッタンへ入りました。初めて触れるNew Yorkの空気とともに多文化・多民族の町並みを全身で感じていました。

一行は国連本部のすぐ前にあるホテルにチェックインしたあと、42丁目グランドセントラル駅内のフードコートでアメリカンフードをエンジョイしました。

明日朝6時過ぎ、国連入りする時に必要なパスを発行してもらうために国連へ参ります。そして、いよいよ明日10:30よりNPT再検討会議第3回準備委員会開会式に参加し、会議を傍聴します。また14:00よりヒロシマ・ナガサキ アピール集会in ニューヨークにも出席。広島市長、国連事務総長代理、外務大臣、広島県知事も同席される予定です。

以下の英文は、引率の広島女学院教員・オサラバン先生からのレポートです。

*本校の報告は、広島女学院様のレポート、写真を元に本校用にアレンジしております。

We arrived at about 4:30 and took a bus into the city. The students were amazed by the big buildings and all the different people. After checking into our hotel, right across the street from the UN headquarters, we went out for some food at the food court in Grand Central Terminal. Tomorrow is an early day, we have to meet at 5:50AM to get our UN passes.

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*写真はJFK空港に到着の時、そして、ホテルからの眺めです。

4月27日(月)NPT国連派遣報告1

練習と学習、そして出発!

25日(土)昼、沖縄尚学高校の平良樹里さん(高3)、徳元晋介君(高2)が来校し、本校との合同のプレゼン練習にのぞみました。校長先生から講評をいただいたあと、世界と日本の核廃絶への動向、NPTの果たすべき役割や若者の使命などについて、学習を深めました。

26日(日)、広島女学院高校、修道高校の生徒と合流。昨年派遣された本校の小川千尋さん、箱田麻実さん、いつもお世話になっている加藤りつこさんも見送りにかけつけてくださいました。加藤さんと箱田さんは25日も応援してくださいました。ご家族、関係教員にも見送られ、広島空港から元気に旅立っていきました。一行は、成田経由でニューヨークに向かいます。

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4月20日(月)羽田福山市長を表敬訪問

4月20日(月)、27日から米国ニューヨーク国連本部で開催されるNPT(核拡散防止条約)再検討会議にあわせて派遣される外務省「ユース非核特使」の6年(高3)坂本知彦君と4年(高1)作原愛理さんが、羽田晧福山市長を表敬訪問しました。市民局長の林様、まちづくり推進部長の藤本様も同席していただきました。

坂本君と作原さんは、「福山、広島、日本の代表として、特に被爆者の平和への思想を世界の人々に、高校生らしく元気に一生懸命に伝えます」と語り、国連で行う予定の英語でのプレゼンを一部、披露しました。そして、「帰国し、活動で学んだことを福山に還元して、貢献したい」と語り、羽田市長から、「戦後70年。福山も非核宣言都市として平和行政に力を入れていく。これからの次の時代を担うみなさんの活動に期待します。」と激励をいただきました。そして、二人に激励金を授与していただきました。羽田市長をはじめ、関係の方々に心から感謝申し上げます。

二人が選ばれた経緯と、ニューヨークでの活動は概ね、以下の通りです。

この度、昨年につづき(2年連続)、6年生の坂本知彦君と4年生の作原愛理さんが、広島平和文化センターから、広島県代表および *(註) 外務省「ユース非核特使」として、アメリカ合衆国ニューヨークの国際連合本部で開催される「NPT(核拡散防止条約)再検討会議」を契機に、正式に派遣されます。

彼女らが選ばれた理由は、盈進が2008年から広島女学院高校と沖縄尚学高校と共同で実施している「核廃絶!ヒロシマ・中高生による署名キャンペーン」を先輩たちから受け継ぎ、一生懸命に活動してきたからです。

「核兵器禁止条約」の締結を求めるこの署名は、2008年からの7年間で約35万筆集まり、国連に提出してきました。 今回、この2人を含む高校生たちが直接、国連を訪れ、署名を手渡し、条約締結を求めます。

「核廃絶!ヒロシマ・中高生による署名キャンペーン」は、「2008年 第1回 中高生平和サミットin HIROSHIMA」実行委員のメンバーたちが、「中高生として持続可能な平和活動」として、自主的にはじめた活動です。

今回の派遣は昨年と同じく、広島女学院高校、沖縄尚学高校、修道高校です。

派遣の使命は「被爆から約70年。被爆地・ヒロシマの反戦・平和と核廃絶のメッセージを世界に訴える」ということです。

活動内容は、

  (1) 各国政府、国連、世界の平和首長会議メンバーとの面会

  (2)「核兵器禁止条約」の交渉開始を求める署名提出

  (3) NPT会議の傍聴

  (4)世界のリーダーやNGOメンバーへの「核廃絶」のプレゼンテーション(英語)

  (5)地元の高校生などとの平和交流

2人の決意です。

「派遣のためにさまざまサポートをしてくれている広島市や広島県、外務省、盈進学園、PTA、同窓会、先輩や後輩や仲間、先生方、そして、署名をしてくれたすべての方々へ、そして誰より、これまでずっと自らの被爆体験を語り、ヒロシマの心を伝え続けてきた被爆者の方々への感謝を忘れず、これまででの活動の成果を十分に発揮します。『もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない』という被爆者の復讐や敵対を超えた素朴で崇高な平和への願いを各国のリーダーやNYの高校生たちに必ず届けます。」

2人は帰国後、活動報告を行います。

(註)外務省「ユース非核特使」
若い世代が被爆者の体験を継承し、国際社会に訴えていく活動を支援する制度。外務省が軍縮や核廃絶に向けて署名集めなどの活動や研究の実績がある30歳未満の人を対象に委嘱する。

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