2021年01月08日
3学期 始業のことば
テーマ 「ずっと」
前略
今年は、「あけましておめでとうございます」のことばに、早くコロナが終わってほしいという切なる願いを込めた人もいたでしょう。そのことばを発しているときも、コロナウイルスと闘う医療従事者やエッセンシャルワーカーに従事する方々への敬意をこめていた人も少なくないと思います。
2021年も、逆説的にコロナが教えてくれた、自分のいのちが他者の労働や生活の犠牲の上に支えられているという事実をずっと忘れず、他者を思いやり、他者を尊重し、仲間と共に、悲しみも喜びも共感できる、そんな自分でありたいと、私は思っています。
いつもと違う大晦日。私もいつもと違う時間を過ごしました。何十年も観なかった「紅白歌合戦」を途中まで観ました。世代を超えて愛されている嵐というグループが5人そろって歌うのは「ひとまずこれが最後」というシーンも観ました。嵐の誰かがこんなことを言っていました。「嵐が去った後に、虹のかかった美しい空が、どうかみなさんの前に広がりますように。明けない夜はないと信じて」と。このメッセージはきっと、そしてずっと、世代を超えて、時間を超えて、人々の希望となるだろうと思いました。
(嵐の新聞記事写真を提示)
『朝日中高生新聞』元旦の一面です。タイトルは、「この地球で、ずっと」。
「持続可能な開発目標:SDGs」を柱に、紙面はこう、呼びかけます。
「今年は、地球のこと、みんなのこと、未来のことを考える一年にしませんか」と。そして、みなさんと同世代の人たちが現在、どんな取り組みをしているのかを紹介しています。
・沖縄の石垣島では「制服の寿命をのばそう」をテーマに、制服のリサイクルを実践しています。
・東京の女子中学生は「戦争体験に学び続ける」をテーマに、仲間と戦争について書かれた本を読むことに取り組んでいます。
・鳥取の高校生は「自分が自分であるために~ジェンダー平等の実現~」をテーマに活動しています。
・東京の高校生は「難民問題の現実を知る」をテーマに、実際にアフリカのウガンダの難民キャンプを訪れて、知りえたこと、感じたことを発信し続けています。
「SDGs:持続可能な開発目標」。「Sustainable Development Goals」は、「ずっと、この地球で生きていけるよう、みんなが幸せでよりよい社会をつくろう」という取り組みです。
キーワードは、「誰一人,取り残さない」。2015年、国連に加盟する193すべての国や地域が賛成してスタートしました。目標とする17項目のゴールすべてにおいて、地球に暮らす私たちひとり一人みんなが「当事者」であるという意識をもつことが何より大切なことだと、私は思います。
終業式に、国連WFPや中村哲先生の活動を例に、私は君たちに、こう伝えました。「世界の問題は、日本の問題であり、私たちひとり一人がこの問題の当事者なのです。『共に生きる』という視点が欠かせないのです」と。
117年の歴史を誇る伝統校私学盈進。その建学の精神は「実学の体得」。社会に貢献する人材となる。そのために、盈進で学習するのです。そのために、また、君たちが21世紀を生き抜くために、盈進には、「平和・ひと・環境を大切にする学び舎」というテーマがあるのです。これは、「持続可能な開発目標:SDGs」そのものです。
13年間続く全校の取り組み「核廃絶署名活動」も、20年近く実践している地域清掃活動「プロジェクトC」も、現在、生徒会が取り組みを始めた環境保護活動も、環境科学研究部の小さな命を大切にする活動も、音楽部や美術部が地域の方々にメロディーや色彩を届ける活動も、ヒューマンライツ部が地域のホロコースト記念館でガイドをしたり、障がい者の施設を訪れて交流したりする活動も、これまで行っていた韓国や台湾やベトナムを訪れて学習する国際理解FWもすべて、SDGsの活動なのです。
中学3年生はいま、読書科の、いや、盈進中学での学びすべての集大成としての「修了論文」に向きあっていますね。「人工血液は製造可能か」、「おいしさの感覚に個人差が生まれる理由」、「音と記憶の関係」、「遺伝子とスポーツ」、「LGBTと人権」、「古民家再生プロジェクトにみる地域活性」――これらはすべて、現在の3年生のテーマですが、3年生のみなさんは、自分のテーマがSDGsのどの項目に合致するのかを考えてみてほしい。また、2年生や1年生は、自分が修了論文を書くとき、4年生や5年生は、探究の授業や進路を考えるとき、自分の興味・関心がSDGsのどの項目に合致するのか、あるいはどの項目に近いかを、いつも意識しておくことが大切で、その日常の意識こそ、建学の精神「実学の体得」、すなわち、「社会への貢献」を果たすための行動につながると、私は確信します。
読書科、修了論文、探究の授業は、「正解のない時代」を生き抜く力は、身近な事象から主体的に問いを見出す力、そして、課題解決に向けて協働しながらアプローチする探究力にあると考える盈進オリジナルのプログラムです。
冬休みに、早く読みたい!と思っていた本を読みました。すでに読んでいた『シリアの秘密図書館』という本の子ども向けの本。『戦場の秘密図書館~シリアに残された希望~』。タイトルのとおり、とても希望が湧きました。(本の実物提示)
みなさんは「シリア難民」という言葉を聞いたことがありますか?
シリアはここです。(地図提示)。首都はダマスカス。現在も内戦が続き、世界的にも深刻な問題の一つなのです。シリア内戦は、いわいる「アラブの春」を契機とし、アサド大統領による独裁政権に対し、民衆が、民主化を訴える運動を起こしたことがそもそもの始まりだとされています。
戦争や紛争は最大の人権侵害であり、平和こそ人権を守る最大の環境です。平和と人権は常に車の両輪です。戦争や紛争は、悲しみや憎しみ、貧困や飢餓といった負の連鎖を生み出し、難民問題を引き起こします。
首都ダマスカスの近くにダラヤという町があります。シリア内戦で、ダラヤの町も政府軍に完全封鎖されて破壊されます。日常的な空爆、食料、物資の絶対的不足。そんな絶望的な状況の中、明日への希望をつないだのが、がれきのビルの地下につくられた「秘密図書館」でした。
この本は、その秘密図書館を守り抜いた若者たちの感動のノンフィクションのドラマです。秘密図書館の存在を知ったイギリス放送(BBC)の特派員、マイク・トムソンンが、インターネットを通じて図書館にかかわった若者たちを取材したニュースがもとになっています。実話です。君たちとそんなに年の違わない若者が主人公です。アムジャド、バーシド、アナス、ウマル、アーイシャ・・・。
私は、彼らの命がけの図書館づくりに感動しただけでなく、彼らの図書館、本にかける思い、未来を思い描いて希望を捨てない彼らの存在に、とても感動しました。
登場人物がつぶやきます。「ぼくたちが目指しているのは、アサド大統領を権力の座から引きずりおろすことだけじゃないんです。それ以上のもの、つまり、自由な国家がほしいんです。だからぼくたちは、アサド大統領がいなくなった後の、新しい国づくりに備えなきゃいけない。読書によってしか、それはできない。いや、読書をすることで、ぼくらはそれが成し遂げられると信じているのです」。
こんな一節もあります。「図書館を作ろうとしている若者たちは、検閲だらけの、そんな社会に育った。だからこそ、検閲せずにあらゆる本を受け入れることの大切さを、身をもって痛感していたのだ」。
「検閲」とは、「国家などの権力が、出版物や言論を点検し、不適当と判断したものを取り締まること」です。ですから、「政府が禁止している本を所持していることが見つかれば、逮捕され、懲役か、それ以上の罰が課せられるに違いない。それでも彼ら若者たちは戦火の中、命がけで本を集めた。なぜなら、好きな本を読むことのできる『自由』は、彼らにとって、何ものにもかえがたいほどすばらしいことだったからだ」。
この本の中で、私が最も忘れられない一節。バーシトのことば。
「ぼくは思うんです。本は雨のようなものじゃないかなって。雨はすべての者に分け隔てなく降りそそぎます。そして、雨の降りそそぐ土地に草木が育つように、本を読むことで人間の知恵は花開くんです」
この本はもともと英語で書かれていますから、翻訳者がいるんです。それは、私が大好きな新聞記者、小国綾子(おぐにあやこ)さん。私は以前から、彼女のコラムが大好きでした。彼女はこう、私たちに語りかけます。
「本との出会いは人との出会いに似ています。その本に、あるいはその人に出会ったから、ぱっと広がっていく世界があります。」「一冊の本を読むこと。それを、誰かと語り合うこと。本を読むごとに、少しずつあなたの世界は広がっていきます。遠いシリアの図書館の話が、実はわたしたちと地続きにあるんだと感じてくれたらうれしいです」と。
そして、小国さんは、私が感じた同じ思いを抱いたのでしょうか。登場人物バーシトの言葉を引用して、こう結びます。「バーシトの『本は雨のようにすべての人に降りそそぐ』という言葉が好きです。読書は確かに、雨が植物や花を育てるように、人を育ててくれるのだと思います。
最近、私が深く信頼し、憧憬の念を抱く人と時間も忘れて2時間、話をする機会に恵まれました。その人は、言葉を的確に使う大切さを私に説きました。私は、その人を思い出して、小国さんの言葉をかみしめました。
私は、「バーシトの『本は雨のようにすべての人に降りそそぐ』という言葉が好きです」という小国さんの、「読書は確かに、雨が植物や花を育てるように、人を育ててくれるのだと思います」という小国さんの言葉が好きです。
みなさん、いつも伝えていますが、本を読もう。新聞を読もう。本や新聞は、雨が植物や花を育てるように、人を育ててくれるのです。本や新聞は、自ら考え、行動するヒントを与えてくれ、「毎日をどう生きるか」という哲学を授けてくれると、私は思っています。盈進図書館「みどりのECL」に毎日行って、本を手に取ってください。近く、図書館で面白い企画展示も行われる予定です。楽しみにしてください。
みなさん、2021年、いま、世界は確実に、人類の新たなフェーズに入りました。食糧問題や核や地球温暖化の問題は、私たち人類生存の問題です。そして、それらの問題に対して、誰もが当事者であり、私たちひとり一人の行動が、これからずっと、問われます。晴れた日の休み時間に、教室の電気を消すことも、ごみを出さないことも、ごみを拾う行為もすべて、日常の中でずっと、問われます。
今月20日、2017年7月に国連で成立した「核兵器禁止条約」が正式に効力を発します。核を持たない国々がたゆまなくずっと、国から国へ働きかけ、核を持つ大国を包囲しようという希望です。
国際条約で、核兵器という非人道兵器は「無用の長物」であり、「持続可能な開発」違反であるというレッテルを張ることが、これからずっと、正式に認められるのです。すでに、世界で、核兵器に対する融資を止めている企業も現れています。
3月11日。東日本大震災から10年です。盈進では10年間ずっと、「忘れない」を言い続け、被災者と共に歩んできました。10年前、震災直後にあった本校主催の「中高生平和サミット」のスローガンは、「私たちはこれからもずっと、被災者の方々と共にあります」でした。「ずっと」と宣言したから、ずっと、福島や宮城の被災者と「共にあった」のです。津波や防災や原子力のことをずっと、考え続けてきたのです。今年も、コロナ禍とはいえ、生徒たちが、10年間、先輩たちから受け継いできた「被災者に思いを寄せる日」の取り組みの延長で、「忘れない」行動を起こすでしょう。
私たち人類が、環境問題や核やコロナをとらえ、「いま」を見つめ直そうとするとき、私たち人類に豊かさをもたらしたはずの文化や文明が、私たちの生存を脅かすという、このパラドックス(逆説/ジレンマ)をこれからずっと、忘れるわけにはいかないのです。
昨年12月、5年生と長崎の原爆資料館に行き、学びました。入り口にこんなメッセージがありました。タイトルは「被爆から75年 長崎からのメッセージ」。こう書かれていました。「核兵器、環境問題、新型コロナウイルス…世界規模の問題に立ち向かう時に必要なこと。その根っこは同じだと思います。自分が当事者だと自覚すること。人を思いやること。結末を想像すること。そして行動に移すこと。被爆75周年の今年、さぁ、一歩を踏み出しましょう!」(75 Years after the Atomic Bombings: A Message from Nagasaki / Nuclear weapons, environmental issues, and COVID-19… the way to tackle all these global issues is fundamentally the same: Have a sense of commitment. Extend compassion to others. Imagine the consequences. Take action. Let’s take a step forward this year as we mark the 75th anniversary of the atomic bombings.)
6年生諸君、終業式に続き、もう一度言います。最後の最後まで諦めない人に必ず合格がやってきます。最後の最後まで、仲間と共に、先生方を信じて、何より自分を信じて踏ん張ろうね。
盈進の合いことば「仲間と共に」。終業式に、それは「共に生きる」と全く同じ意味だと伝えました。「共に生きる」という意識をずっと、忘れなければ必ず、人類の危機という嵐は去り、虹のかかった美しい空が広がるだろうと、私は思います。
大坂なおみさんは24歳で、世界の差別と闘っています。グレタ・トゥーンベリさんは現在17歳で気候変動にstopを!と世界に訴えています。世界を動かすのは、政治家ではありません。あなたたち、若者なのです。あなたたちこそ、私たちの、地域の、世界の希望なのです。だから、仲間と共に、自ら考え、自ら行動するのです。学問はそのためにあります。
3学期が始まります。気を緩めず、感染防止に努めて「仲間と共に」ずっと、いつもの日常を送られることを念じています。終わります。