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2021年度 2学期 校長「始業のことば」

2021年08月23日

2021年度 2学期「始業のことば」

 

前略

こんなニュースに涙が出た。コロナに感染して、「自宅療養」中の妊婦がいた。状態が悪化しても入院先が見つからず自宅で出産、新生児は亡くなった。私たちはどこに向かうのか、はっきりしない毎日にもどかしさを感じる。ただ、赤ちゃんが死ぬなんてことは決してあってはならないことだ。

わたしたちひとりひとりが社会の一員としての責任において、感染防止のルールを守り、自分と身近な人の健康といのちを大切にする日常を送ることを再度、自覚して、2学期を迎えよう。

夏休み前の7月19日、「ホンモノ講座」で順天堂大学国際教養学部教授ニヨンサバ・フランソワ先生のお話を聞いた。フランソワ先生がみんなのことをほめていた。特に、新校舎1階で、先生の目の前で聞いたが中学1、2年生がとても集中して最後まで話を聞き、どんどん質問する姿勢に、とても感心されていた。

私が、本校のテーマ(盈進共育)は、『仲間と共に、自分で考え、行動する』で、生徒はそのことをちゃんと自覚して生活しているからだと伝えると、大きくうなずいて「これからの盈進がとても楽しみです。また来たいです」とおっしゃっていた。

この夏、中学女子バドミントン部が中国大会出場。決勝トーナメントに進んで戦う健闘。鳥取まで応援に行き、選手の一生懸命さに涙が出るほど心を揺さぶられた。女子剣道部も活躍した。6年生の唐川くんがインターハイ(全国大会)で活躍。みんな、よくやった。すばらしい。

 

これから、1学期終業式に続き、「仲間と共に、問え、悩め」というテーマで話をする。

盈進の建学の精神は「実学の体得」。「社会に貢献する人材となる」である。そのために、自分はどう生きるか、どんな職業に就いて、どのように社会に貢献するかを、常に自分に問うて、悩む。将来のことを仲間と大いに語る。語ってはまた悩む。その、問うて悩むプロセスと時間が自分を鍛えてくれるし、夢大きく、目標を高くしてくれると、私は確信している。進路目標は、校内掲示の『輝く先輩』を大いに参考にして、高い目標を建て、日々努力してほしい。

そのためにも、本や新聞を読む。盈進図書館「みどりのECL」で本を借りて読む。本や新聞は必ず、私たちに「どう生きるか」という哲学を身につけるヒントを授けてくれる。

2学期もどんどん本や新聞を読む。そうする人は必ず、高い進路目標を自ら獲得する人である。

どうにもならぬ困難に直面した時、その読書体験が行く道を照らし、生きる勇気を与えてくれる。

一冊の本が、一節の文が、迷った自分を、自分の人生を支えてくれると私は信じている。

こんな句を知っているだろうか。「八月や六日九日十五日」。76年前まであった戦争を忘れない、との思いを込めて詠まれた有名な句だ。私は、この句を聞いても戦争や原爆の悲惨さをイメージできない人が増えていくことに危機感を抱く。「忘れる」ことは、「繰り返される」ことだからだ。

「六日」は広島原爆の日、「九日」は長崎原爆の日。「十五日」は日本が戦争に負けた日である。

ちなみに六月の「23日」は何の日か。約三か月に及んだ「地上の地獄」と例えられる沖縄戦の組織的戦闘が終わった日。すなわち、「沖縄慰霊の日」である。

 

この本。『ヒロシマを生き抜いて』。本校の生徒が切明千枝子さんという被爆者の証言をまとめた本。私は次の一節がどうしても忘れられなかった。時は、原爆投下前、約77年前のヒロシマである。

「私たち女学生は、(広島の)宇品の港に行き、『万歳!万歳!』って言って、中国大陸に向かう兵隊さんを見送るんです。日本軍が侵攻する中国は、道路がある場所は限られている。だから、トラックは役に立たないかもしれない。ガソリンもなくなればトラックは動かない。だからどうしたか・・・戦地では、トラックより馬が役に立つんです。だから、大陸に向かう船に馬が運ばれていく。クレーンでつるされた馬は、自分がどこか危険な場所に連れていかれるのを悟って、『ヒーン、ヒーン』と悲しく泣く。私は動物好きだったので、その声を聞くのがあまりに辛くて、『万歳!』って言うのも忘れて、馬を見て泣いておりました。」

戦争で悲しむのは人間だけではない。馬もまた、悲劇の運命をたどったのだと知らされた証言だった。と、こんな話を知人としていると、この本を紹介された。

 

『戦火の馬』(War Horse)」。イギリスの作家マイケル・モーパーゴ作。馬の視点で描かれた「人と動物、人と人の愛とは何か」を追求するドラマ。本から少し、引用する。馬が語る。「わたしの名はジョーイ。愛する少年との穏やかな農場暮らしを後にして、軍馬として、戦争の最前線に送られてきた。私は駆け抜ける、戦場を。愛する少年との再会を信じて駆け抜ける」と。

舞台は、第一次世界大戦前夜のイギリス。美しい馬ジョーイが、少年アルバートと出合い、深い絆で結ばれる。しかし、ジョーイは戦場に送られる。果たして、ジョーイとアルバートは再会を果たすのか。そして、二人が豊かに暮らした故郷に戻ってこられるのか。最終章、最後の4頁に泣けた。

 

この『戦火の馬』に惹かれた私は、同じくマイケル・モーパーゴ作で、ことしの全国読書感想文中学生の課題図書『アーニャは、きっとくる』(Waiting for Anya)も続けて読んだ。

舞台は第二次世界大戦中の南フランスの村。このとき、この村は、ナチスドイツの占領下にあった。羊飼いの少年ジョーは、ナチスドイツが虐殺の対象としていたユダヤ人の子どもたちの亡命を助けることになる。ドイツ兵が駐留する中、村人が心を一つにして、命を守るために立ち上がる。その脱出劇のシーンにドキドキ。まさに圧巻。さて、村人が待ちわびていたタイトルの少女「アーニャ」は、この村にやってくるのか。それは読了して初めて知りえる結末であり、じっくり味わえる感動と共感である。

 

これも、ことしの全国読書感想文中学生の課題図書。『牧野富太郎:日本植物学の父』。

わたしは小学生のころ、牧野富太郎の伝記を読んで、野草に興味を持った。友だちとつくしやヨモギやセリはもちろん、たんぽぽ 、ドクダミ、オオバコ、ふき、ふきのとうなどを採って、学校の理科室で担任の先生と料理したり、煎じて飲んだり、家で料理をしてもらったりして食べた思い出が懐かしい。

蝶ネクタイに丸めがね、肩から大きなカバンを下げて、いつも笑顔だった牧野富太郎。「日本植物学の父」といわれる富太郎は、植物採集に行くときにいつもそんな格好だった。きちんとした服装は植物への尊敬の気持ちのあらわれで、満面の笑みは、大好きな植物に会えるのがうれしくてたまらないからだった。家庭の事情で小学校2年の途中までしか学校に行っていないのに、植物採取の研究が認められて東京大学で研究を重ねた。全国の野山を歩いて集めた標本は40万点、調べて分類し、名前を付けた植物が1500種類。いまでも図書館や書店に並ぶ『牧野日本植物図鑑』はあまりに有名だ。学歴なんて何のその。草木を愛し、愛され、情熱的に探究し、好きなことをとことんやって、好きなことに没頭する富太郎の姿に、私も終始笑顔でこの本を読み終えた。そして、私ももっと日々勉強しよう!と素直に思えた一冊となった。

 

この夏、1年遅れてオリンピックがあった。声援を送った人も多かろう。これからパラリンピックもある。そのオリンピックで、私が印象に残っていること。それは、海外選手の「亡命」や「難民申請」だ。

(1).開催前、ミャンマー代表のサッカー選手が、ミャンマー軍の行動に抗議。帰国する前の日本の空港で、母国ミャンマーに帰ることを拒否し、日本で難民認定を申請した。

(2).準備期間中、ウガンダ代表の重量挙げの選手が、東京の滞在ホテルから失踪。三重県で身柄を拘束された。「日本で仕事をしたかった」という理由だった。

(3).大会期間中、ベラルーシ代表の陸上選手が急きょ日本を離れることになった。だが、向かった先は母国ベラルーシではなく、隣国ポーランドだった。帰国を拒否して亡命した。

(4).大会に、難民選手団の姿があった。シリア、イラン、南スーダン、アフガニスタン、エリトリア、イラク、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、カメルーン、スーダン、ベネズエラ出身の選手がいた。パラリンピックにも難民選手団が参加予定だ。

 

諸君、どうして、難民がいるのか。亡命を望むのか。問い、悩んでぜひ、自分に何ができるか、解決策を考えてほしい。決して他人事ではないのだ。

私は思った。オリンピックは「平和の祭典」といわれるが、世界は平和ではない、と。であるなら、世界の平和のために、自分にできることを、誰もがやらなければならない、と。

世界を見渡してみる。ミャンマー軍の政治掌握、私が尊敬する同じ福岡出身の医師・中村哲先生がいのちをかけて人々と歩んだ国、アフガニスタンのタリバン政権による民衆圧迫。シリア内線。パレスチナのガザ攻撃等々・・・。じゃあ、日本は平和なのか。

どこの国の人でも、そしてその人がたとえ正規の在留資格をもっていなくても、生命(いのち)と人権を重んじて、守る。この原則がゆるがせになっていたと言わざるを得ない事件があった。

名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが3月、病死した事件である。体調不良を訴えるウィシュマさんの声を受け流し、医療を施さずに最悪の結果を招いた。暗然とするのは現場の職員の振る舞いだ。 施設の外に出たくて病状を誇張していると考え、苦しむウィシュマさんをからかう発言までしていた。

ウィシュマさんが収容されたきっかけは、男性から暴力を受け、警察に出頭したことだった。ところが、DV被害は、職員が聴き取りをして事実関係を確認するというルールは、無視されていた。悲しみに暮れるウィシュマさんの妹は、私たちの社会にこう訴えた。

「次は、あなたの番です」と。つまり、この事件に関係ない人はいないということだ。

 

この事件もそうだが、このところ、他者を貶める言動が目立つ。女性蔑視、障がい者や性的マイノリティー(LGBT、LGBTQ)への差別など、「枚挙にいとまなし」である。

 

最近、こんなニュースに驚愕した。私は意識して、「頭がいい」「頭が悪い」ということばは絶対に使わないが、世間一般に「頭がいい」といわれる有名人が平然と、インターネット上でこんな発言をした。

「生活保護の人が生きていても僕は得しない。ホームレスの命はどうでもいい。犯罪者は社会の害でしょ。だから殺すんですよ。同じですよ」と。

「人の命に優劣をつけ、価値のない命は抹殺してもかまわないという『優生思想』そのものであり、断じて容認できない」という当然の批判を浴びているが、私は、私に「生きる意味」を教えてくれる大好きな人々が重なった。彼女彼らは、生活保護と同じように国の施設で暮らす人々や、原爆症に苦しむ人々、障がいのある人々だが、彼女彼らの顔を思い浮かべて、そんな発言を自分が今、どうすることもできないことに、申し訳ないと思った。

 

毎年3年生が、ことばを大切にする取り組みとして、また、読書科の課題として、そして、中学校生活の集大成として「修了論文」に向き合う。ことし、私が担当する生徒の「探究」テーマを聞いて最初、私は少し、たじろいだ。

「人はどうして人を好きになるのか」。なるほど。でも・・・である。

この本を読んだ。エーリッヒ・フロムの『愛するということ』。著者のフロムは、『自由からの逃走』という名著を生んだアメリカに亡命したユダヤ人。この本の英語のタイトルに、この本の主張がある。「The Art Of Loving」。「Art」は一般的に、「芸術」と訳されるが、「人がつくり出すもの」、つまり「技術」と訳すこともできる。だから、「The Art Of Loving」は、「愛は技術」あるいは「愛は能力」と訳すのが妥当だろうと思う。では、一体どういうことか。

人はよく「どうすれば自分が愛されるか」を考える。だが、著者のフロムはそれに、根源的な異議を唱える。「愛することの本質は自分から他者に『与える』こと。自分の喜び、興味、理解、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているものすべてを与える」ことなのだと。

そして「愛は人が自然にもつ力ではなく、鍛錬して身につく高度なアート(技術)」であると説く。なるほど、と私はうなずく。そして私はまた、次の論の展開に納得する。

「人は、『愛する』人以外は、誰のことも愛さないことが、愛の強さの証拠だと考えがちだ。つまり、ただひとりへの一途な純愛。だがそれは、人間のエゴである。ひとりの人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することなのだ」と。

では、どうすれば人は人を愛せるか。それは「自分で経験する以外に、それを経験する方法はない」、つまり、「人を愛するには、愛するしかない」とフロムは言う。そして私はついに、フロムの最終盤の論理に打ちのめされた。実にかっこいいことばである。

「人を愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に全身を委ねることである」と。

私の解釈では「愛は、人を信じるということ。『信じる』という行為に、身投げする」ということになろうか。

諸君と共に、自戒を込めてあえて、こう考えたい。

人に「こうしてほしい、ああしてほしい」と言う前に、ちょっと立ち止まって、自分が他者に「与える」ことをしているかどうか、自ら「愛を与えているかどうか」を考えよう。そして、「自分に何ができるか」「自分はどう変わろうとしているのか」を考えよう。「どうせダメ」という前に、「どうすればできるか」を考えよう。

つまり、常に、「仲間と共に、自分で考え、行動する」自分であるかどうか。「問い、悩む」毎日であってほしい。

 

6年生。最後まであきらめるな。仲間と励まし合い、仲間と共に希望の進路を切り拓こう。あきらめればそこでゲームセット。あきらめないことが希望の光。いつも「仲間と共に」である。

5年生。11月が目標進路確定のときである。これから2か月、「輝く先輩」を参考に、常に、「自分はどう生きるか」を念頭に、勉強とクラブ活動に没頭してほしい。学校を引っ張る真のリーダーであってほしい。

 

生徒諸君。もう一度言う。2学期も常に「それはなぜか」を問い、悩み、「仲間と共に、自分で考え行動する」毎日であってほしいと願う。終わります。

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