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2021年度 3学期「始業のことば(校長)」

2022年01月14日

2021年度 3学期 始業のことば   校長

 

みなさん、明けましておめでとうございます。オミクロン株の脅威がひたひたと忍び寄ることを感じながらのお正月だった。昨年秋からは少し、感染が静まっていたので、気のゆるみがあるかもしれない。いま一度、ひとり一人が社会の一員として、その社会的立場を自覚し、感染防止のため、登下校、校舎内、クラブ活動を問わず、節度ある行動をとろう。クラブ活動では特に、更衣室などでの密閉空間でも気を緩めず、常にマスク着用、大声を出さない、「3密」回避、手洗い、換気、検温、消毒、黙食、規則正しい生活等々、感染防止に努め、自他の命を守りながら生活しよう。

6年生は正念場である。進路が決まっている生徒もこれから本番を迎える生徒も、仲間として互いに気遣いながら励ましあって自分に挑戦し続けよう。最後まであきらめないこと。この心構えこそが大切だ。最後まで全力を尽くすから、たとえ満足のいく結果が得られなかったとしても「いま、努力している」から次が見えるのだ。その努力はすべて、肥やしになっても、決して無駄にはならない。現在の努力は未来へのステップなのだ。

 

きょうは、「問いを立てる」をキーワードに話をする。

 

昨年12月にこの本を読んだ。医学に疎い私にとって驚き、というか「なるほど」の連続だった。京都大学医学部出身の外科医、山本健人(たけひと)さんの本『すばらしい人体』。サブテーマは「あなたの体をめぐる知的冒険」。

「過去から未来まで、頭から爪先まで、人体と医学を楽しく俯瞰すること」が目標という著者のことばどおり、この本には、多種多様な器官や臓器が取り上げられ、また、医学発展の歴史についても紹介されている。保健や家庭科、理科や社会科の授業などでも是非、取り上げてほしいこと、満載である。

 例えば、どうして手術着は白色ではなく空色なのか。理由はもちろん、この本で解説されているが、私はまさに、はたとひざを打った。

12月20日の朝日新聞コラム「天声人語」でもこの本が取り上げられた。少し読んでみる。

 「ここ2年近くは、体温をはかるのが日課になった / ……コロナ禍は、自分の体に向き合う機会にもなった。そんな日々のなか……『すばらしい人体』を手に取った。何げない体の動きの中に、精巧極まる仕組みがあると教えてくれる /…尾籠(びろう)な話(「尾籠な話」とは、ちょっと下品な話、という意味)で恐縮だが、おならを出すのも実はすごいことらしい。近づいてきたものが個体か気体かを瞬時に判別する。そんな肛門の働きがあってこその技という。一本約10キログラムもある足や4~5キログラムある腕を動かすのに重さを感じさせない筋肉もなかなかのものだ……」

「なかなか」なのはそれだけじゃない。椅子から立ち上がれること、走っていてもあまり視界はぶれないこと、目をつぶっていても自分の手足の位置を把握できることの謎も、この本を読むと「なるほど」と思えるのだ。この本は、普段は意識もしないようなささいなことや健康ならば誰もができるような簡単な動作を取り上げながら、私たち自身の身体のすばらしさを教えてくれる。

 

では、現在のコロナ禍でも最重要な行為である「手洗い」の習慣は、いつから、どうして生まれたのか。この本によると、18世紀以前、「手洗い」の習慣は社会的にまったく常識ではなかった。

手洗いの効果を初めて示したのは、ハンガリーの産科医イグナーツ・ゼンメルヴァイスという人。以下、それに関する記述をこの本から抜き出してみる。

 「(ゼンメルヴァイスは)19世紀初頭、ある病院に勤務して、お産後の患者に起こる産褥熱(さんじょくねつ)に悩まされていた。いまでこそ産褥熱(さんじょくねつ)は、お産の際に膣や子宮に細菌が入って起こる感染症だと知られているが、当時はもちろんそうした知識はなかった。

ゼンメルヴァイスは、自分が配属された第1病棟は第2病棟に比べて産褥熱(さんじょくねつ)の発症率がはるかに高いことに気づいた。この2つの病棟のお産には大きな違いがあった。

 (ゼンメルヴァイスらがいる)第1病棟ではお産に立ち会うのは医師や医学生であり、第2病棟で立ち会うのは助産師であったことだ。医師や医学生は死体の解剖をよく行う一方、助産師は解剖に参加できなかった。ゼンメルヴァイスは、死体によって汚染された医師や医学生の手に、産褥熱の原因となる「何か」が付着しているのではないかと考えたのだ。ゼンメルヴァイスは、彼らの手から、死体によって付着する何らかの物質を洗い落とすべきだと考えた。

 1847年、ゼンメルヴァイスは分娩室に入るスタッフに、塩素水を用いた消毒液で手を洗うように指示し、産褥熱による死亡を激減させた。この研究結果は賛否両論を巻き起こし、特に産科領域の権威からは嘲笑され、批判された。当時は……『医師自らが病気を引き起こしている』という彼の指摘を、(医師たちが)なかなか受け入れられなかったのだ。ゼンメルヴァイスは……のちに産褥熱の原因や予防についての書籍を著したが、やはり認められることはなかった。1865年には精神疾患を発症して……47歳の若さでこの世を去った。」

 「手洗い」の習慣化にはこんな歴史があった。だから私たちは手を洗う。目に見えなくても、手には微生物が付着していて、これが病気の原因になりうることを知っているから、である。

しかし、ゼンメルヴァイスの研究は彼が生きている間には認められることはなかった。「正しい」のに、である。ゼンメルヴァイスは、「何が正しく、何が正しくないか」は、その時代状況によって変わる、という歴史の真実をも教えてくれている、と私は思う。

 

再び先ほどの新聞コラム「天声人語」に戻ろう。書き手は『すばらしい人体』の読後感にこんなことを記している。「一つ一つの行動は、意識せずに動いてくれる体の部分部分に支えられている。そう思うと体のあちこちをなでてやりたくなる……」と。少し自分を誇らしくも感じたのだろう。

パンデミック3年目を迎えた。2022年はコロナ後の世界の構想が問われる年となろう。2学期の終業式でも伝えたが、世界に目を向けると、言論封殺や難民問題など、民主主義や人権が地球規模で問われている。共通の手口は「敵意をあおる」ことであろう。言うまでもなく、気候変動問題は人類生存の危機そのものであるから誰一人として例外はなく「carbon neutral」を意識して、生活を改善しなければならない。また、核戦力の削減は、コロナによる足踏み状態で見通しが立たない。だが、核もまた、人類生存の問題であり、このような問題はすべて、私たちの暮らしといのちにつながる問題だ。ましてや、私たちの学校は、人類最初の被爆地・広島にある。無関心であっていいはずはない。民主主義の要諦である「平等と包摂」という価値観を忘れてはなるまい。

 

一方、国内に目を向けると、経済の停滞は言うまでもなく、疑惑に満ちた政治、ますます広がる格差社会、深刻さを増すばかりの少子高齢化問題、日韓や日中関係に代表される近隣アジア諸国との極めて不安定な政治的バランス等々、枚挙にいとまなしである。これらの問題もまた、すべて私たちの暮らしといのちにつながる問題だ。無関心であってはならない。このような国内外の社会問題をどう解決するか。それは私たちひとりひとりに課せられた課題である。

 

国連のSDGsをいま、知らない人はいないだろう。SDGsとは、「Sustainable Development Goals」(持続可能な開発目標)。「誰一人取り残さない」(leave no one behind)」を世界共通目標として掲げている。換言すれば、「共に生きる社会の構築」といえるだろう。私たちは、誰一人として取り残されない「共に生きる社会構築」を意識し、そのために、仲間と共に、考え、悩み、行動する必要がある。でなければ、誰一人として幸せにならない未来が待っているのである。だから盈進は、「盈進共育」として「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」とうたっている。

もちろん、この「盈進共育」は、創立118年の伝統校・私学盈進の建学の精神「実学の体得」(社会への貢献)と、「平和・ひと・環境を大切にする中高一貫の学び舎」「自立・学び・貢献」という盈進の基調を基に設定したテーマである。盈進につどうすべての生徒と教職員は2022年も常に、建学の精神、盈進の基調、「盈進共育」を忘れずに行動することを強く願う。

そのためにも常々伝えているように、盈進生および盈進の教職員は日頃から本や新聞を読むこと。そして大いに「盈進図書館みどりのECL」を活用すること。本や新聞は、どうすれば「共に生きる社会」をつくることができるかについてそのヒントを授けてくれる。また、そのために、本や新聞は、私たちは「どう生きるべきか」という哲学に導いてくれる、と私は信じている。

 

『朝日』や『読売』の中高生新聞も「みどりのECL」にいつも置いてある。『朝日中高生新聞』の元旦号に、元京都大学総長、ゴリラ研究で名高い山際寿一先生が特集されていた。ゴリラ研究は、「ゴリラ(サル)を観察して、人間の愚かさやすばらしさを探る学問」なのではないだろうか。

以前、山際先生の後輩の湯本貴和先生を「ホンモノ講座」にお招きしてこんな話を聞いた。「仲間や愛おしい誰かを信じ(続け)るという行為は、サルにはなくて人間に備わるすばらしい能力なのだと思われる」と。

山際先生は、自分の可能性を見つけるためにも「学び続ける」ことが大切だとして、こうおっしゃっている。「心の成長のために大切なのは、自分を知り、『問い』を立てるということ。自分の得意なことは何か、将来は何をしたいのかと自分に問いかけていくことが大人への第一歩だ」と。

昨年末、本校の生徒を国連に派遣してくれている「広島平和文化センター」(みなさんが知っている広島の原爆資料館もこの「広島平和文化センター」の管轄)の小泉崇理事長と話をする機会があった。

小泉理事長は、現在の筑波大学出身。紛争で傷ついた東ティモールやブルガリアなどの大使等を歴任した元外交官。現在、「平和文化の振興」をキーワードに、世界の平和連帯を呼びかけている。その一環としてことし4月、イスラエル駐日大使が本校を訪れる予定だ。

 私といっしょにいた5年生の塩川愛さんが小泉理事長にこんな質問をした。「中高時代に“これはやっていた方がいい”ということを教えてください」。小泉理事長は即答で、次のように述べた。

「友達、仲間をたくさんつくることだね。中高時代のいま、かけがえのない仲間をたくさんつくること。仲間を知って、自分を知るんだ。次に読書。中高生という頭が柔軟なこの時期にこそジャンルを問わず本をたくさん読んで視野を広げること。自分も世界も知ることになる。次に、好きなことをとことんやってみること。自分という人間を確立するためにも大切なことだ」と。

 世界を渡り歩いた人の発言。盈進が大切にしていることとズバリ重なり、その後も意気投合して、話が弾んだ。近い将来、小泉理事長が盈進に来てくださるだろうから楽しみにしていてほしい。

 

自分や世界を知るための読書。元旦に中学生の夏休みの宿題だった読書感想文を読んだ。中学生とは思えない作品ばかりだったことに心をわしづかみにされた。「すばらしい盈進生が育っている」と元旦から心躍った。

文頭にいきなり「友達の定義」という「問い」を立てる1年生がいて驚いた。国連ユニセフの活動に自分を重ねる2先生がいて希望をもらった。3年生はどれも「さすが修了論文に向き合っている3年生」と思われる作品ばかりだった。村上春樹の長編『ノルウェイの森』から人間関係を考察したり、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんから自分を見つめたり、ユダヤ人虐殺の歴史から「本当の幸せとは」を考えたり、動物愛護には人間相互の信頼が不可欠と述べたりする中学生の「本を読み込む」質の深さに感心した。混沌とした現在をたくましくしなやかに生き抜く盈進生が育っているんだなあとうれしくなった。やはり読書はすべての学力の基礎であり、答えのない困難な現代を生き抜くための哲学と論理的思考力を培う最も大切な学習だと、私は再び確信を持った。

すでに北棟(中学棟)2階東側通路に掲示されているから是非、読んでほしい。

 

世界を知るには語学力、特に英語は不可欠だ。先ほどの『すばらしい人体』に関して記した「天声人語」は「書き写しノート」に英訳版もある。新年にあたり「よし、挑戦してみよう」という生徒が出てきても不思議じゃない。そうなると「英検準1級」「英検1級」も射程距離だ。仲間とならなおいい。仲間と共に、自分で考え、行動に移すんだ。

『Asahi Weekly』では、「すばらしい人体」は「Amazing human body」と表現されている。では、先ほど伝えた天声人語の書き手が表現した読後感の「そう思うと体のあちこちをなでてやりたくなる」は、英語でどう表現されるか。「 Thinking about this makes me want to lovingly caress various parts of my body」。主語は動名詞句になっていて、動詞にmakeを用いた使役構文として表現していた。

好奇心や探究心がもたらすひとつの「問い」が、わたしたちの生活習慣や世界を変える。だが、その「問い」は、手洗いの習慣をもたらしたゼンメルヴァイスの学説のようにその時代には受け入れられないかもしれない。ノーベル物理学賞を受賞した真鍋叔郎先生の気象解析研究のスタートは、いまから60年前にさかのぼる。60年前は私もまだ生まれていない。60年の時を経て世界は、「気候変動は人類の重大危機」と常識的に認識している。

 

2022年、盈進につどうみんな、勇気をもって「問い」を立て、仲間と共に、心と体を鍛え、磨き合おう。そんな君たちを私は、ずっと信じ続ける。(後略)

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