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2021年度 3学期終業式 校長あいさつ

2022年03月15日

2021年度 3学期 終業式(2021年3月15日)校長あいさつ

 

この2年間、コロナウイルスで生活が変わった。マスクでみんなの顔が半分以上見えず、名前もろくに覚えられず、もどかしい毎日だった。

授業もランチタイムも、大きな声が出せない、対面ができないなどの制限の中にある。みんなが楽しみにしている、そして、みんなの能力や可能性を存分に発揮できるクラブ活動も制限され、運動会や感謝祭、フィールドワークや鑑賞会、そして、学習旅行が中止になったり、延期になったり、規模が縮小されたりして残念な思いが残ったことだと思う。

だけども、そんな中でも、君たちのほとんどは盈進生らしく、仲間を思い、家族を気遣い、そして、自分を律して、規則正しい生活を崩さず、また、生活が制限されても腐らず、前向きに努力を積み重ねてきた。だから、他校と比べれば自ずと明白だが、学内での感染拡大を極めて最小限に抑えることができた。そんな君たちを私は心から誇りに思う。

また、そんな生徒たちを、常に支え続けてくださった保護者のみなさまに心から感謝申し上げたい。みなさんもご家族に感謝してほしい。

新たな日常も生まれた。朝、校内に清々しい音楽が流れ、心が軽やかになった気がする。放送部による昼休みの放送も楽しみとなった。音楽部や歌を愛する仲間たちによる中庭コンサートも実に楽しかった。朝起きて「きょうは中庭コンサートがある」と思うと学校に行く足取りが軽かった。もっと気軽に、できることを、できるときに、できる範囲で、気負わず、肩肘張らずに、仲間を集めて、楽しく、明るくやればいい。型にはめず、仲間と共に、教職員もいっしょに、クラブやクラスや学年の枠や壁を越えて、もっともっと、自分たちで考え、自分たちで工夫したり、改善したりして、誰かのために、仲間のために、そして自分が幸せになるためにも、楽しい企画をしてほしいと願う。未熟であったり、失敗したりしてもかまわない。盈進は誰も、それをとがめはしない。気をつけることはひとつだけ。他者をばかにしたり、貶めたりはしないことである。

諸君、盈進をつくるのは、君たち自身。君たちしか、盈進の新しい伝統と歴史、そして、未来はつくりえないのである。

クラブ単位での学習も少しずつ、定着してきた。学校中に、「勉強するときは勉強する」というムードが漂ってきた気がする。もっともっと仲間と共に、自らの可能性を信じて、高い目標を設定し、それに向かって日々、努力してほしいと願う。

例えば毎日のリスニングタイム。「たかが10分されど10分」。5日で50分。その毎日の10分に集中するのはもちろんだが、自宅学習にもその習慣をスライドさせて定着させことが求められる。また、毎日のSHRで行われる「問え、悩め」。そこで感じた驚きや共感や疑問を、日々の生活の中でもう一度考えたり、調べ直したりするのだ。「なぜだろう」と問い、「どうすればいいのか」を悩むことが自分の思考や論理性を鍛えるのである。

コロナ禍は、大切な人、仲間、愛する人に、いつでも会えるということが「あたりまえ」ではないとわたしたちに気づかせた。「日々の何気ない普通」が尊くて、大切なものであったかを思い知らせた。

そして、自分の存在が「他者によって支えられている」、そして、自分のいのちが「他者によって生かされている」と、誰もが実感したのではないだろうか。

 

きょうは、「利他」ということばをキーワードに話をする。

「利他」ということばを聞いたことがあるだろうか。その対義語は「利己」。

利己主義とは、自分の利益を優先するという意味であるから「自分勝手」や「わがまま」を表すことばである。その対義語の「利他」は、「利己」の逆だから、「自分の利益よりも他者を優先する考え方のこと」あるいは「他人への思いやりを大切にすること」などとなるだろう。コロナ禍のいま、この「利他」という考え方が注目されている。

わたしが最近、興味深く読んだ一冊。『思いがけず利他』というこの本。わたしが注目している東京工業大学の中島岳志先生の本。わたしは彼の著作や論文を意識的に読んでいる。

中島先生が務める東京工業大学は一般的に「東工大」と呼ばれ、東京大学や京都大学に匹敵するとても教科学力の高い学生が集まる大学としても有名だ。その東工大には「リベラルアーツ研究所 / 未来の人類研究センター」という学問所が設置されている。中島先生はそこの教授で、学生たちと「利他」について研究している。「利他学」という学問である。

東工大は理科系の大学である。ではなぜ、理科系大学に人文社会学系の「未来の人類研究センター」があるのか。

中島先生はこの本の中で、東工大大学院生の修士論文を紹介している。すでに誰もが避けては通れない超高齢化社会にある認知症の問題がテーマである。

認知症の方には「介護保険法」という法律によって原則、ひもや帯などによる身体的な拘束は禁じられている。だが、夜に徘徊などをして事故の危険性があるなどの場合、つまり、拘束しなければその人のいのちが守れないと判断された場合には、帯でベッドに縛ったりするなどの必要最低限の身体的な拘束が認められている。

ここで大きな問題にぶつかる。その行為は「利己か利他か」。考えるに、認知症の方への身体的拘束は、見守る家族にとっては何を意味するか。身体的拘束は、できれば、本人の自由のためにはしたくない。だが、本人のいのちためにはしなくてはならない。それらの選択は、果たしてどちらが利己で、どちらが利他か。なかなか難しい問いであろう。実に悩ましい。

だから、東工大大学院生は「利他」をキーワードに、実践的に現場に入って観察して研究を深めた。その現場とは……。認知症の方々がお店のフロアを担う「注文をまちがえる料理店」。「ちばる食堂」という名の、ごく普通の沖縄料理店なのだが、お客は、店に入って、メニューに書いてある注意書きと働いている人の姿を見て真相を知ることになる。「ちばる食堂」は、福祉目的の食堂ではない。普通の食堂なのだが、注文していない料理が出てきても、客側がそれを受け入れることで成り立っている。認知症の方々は労働による賃金を得ることができ、客側は間違いに寛容であることの大切さをそこで学ぶ。間違いに寛容であることは、キリスト教や仏教といった世界宗教の根幹でもある。それは普遍の哲学であると言うこともできる

この東工大院生の修士論文は「認知症ケアと社会的包摂~注文をまちがえる料理店の事例から~」というタイトルで、中島先生は修士論文として高く評価している。間違いに寛容であること、困難さを生きている人々に対する包摂は、普通の日々の中での「思いがけずに『利他』」であり、この考え方と感性に、困難を切り拓く答えがあるのではないかという評価である。

 

ロシアの軍事侵略は「利己」の極みである。わたしはいま、世界中の平和を希求する人々と同じように、ロシアのウクライナ侵攻・侵略に憤っている。

まして、プーチン大統領の「ロシアは世界で最強の核大国の一つだ」という発言、それも、核兵器を手放した国ウクライナに対する発言、つまり、核を脅しの道具にする発言、そして、実際に原発を攻撃する行動は、被爆地広島に暮らすひとりとして、怒りに震える。また、これに乗じて、核保有を匂わせる発言をする日本の政治家の良心を疑う。

ロシアの文豪トルストイは、わが盈進が創立された1904年、日露戦争で多くの死者が出たことに心を痛め、戦争の絶対悪を訴え続けた。「あなたは人を殺せますか」と。かの大統領には聞こえてはいまい。だがいま、その普遍の問いかけは、世界中に木霊している。わたしはそれに希望を感じている。

わが日本は、ヒロシマ・ナガサキの被爆と、福島の放射能被害を経験した国として、戦争放棄をうたう平和憲法に則り、世界の平和秩序の維持と回復に貢献しなければならない、とわたしは思う。

毎日、ウクライナ市民の苦痛に胸をえぐられる。「平和・ひと・環境を大切にする中高一貫の学び舎」の盈進である。だからわが盈進中学校では必ず、中学1年生の時に、谷川俊太郎の「朝のリレー」という詩から深い学びを得る。一部をひく。

カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき(中略) メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている(中略) この地球では いつもどこかで朝がはじまっている ぼくらは朝をリレーするのだ 経度から経度へと そうしていわば交替で地球を守る

「カムチャッカ」はロシア連邦の地域だが、それを「モスクワ」や「キエフ」に置き換えることができる。

諸君。この戦争は決して「対岸の火事」ではない。必ず東アジア、そして日本にも大きな影響をおよぼし、政治・経済はもちろんのこと、わたしたちの暮らしも変化を迫られるだろう。

「ヨーロッパのパンかご」…と称されるウクライナは、世界有数の小麦の産地である。日本は直接的にウクライナから小麦を仕入れているわけではないが、ウクライナからの小麦輸出が滞れば世界の小麦価格は上昇する。となると、いわゆる「粉もん」と呼ばれる小麦粉を使用するお好み焼きやたこ焼きなども価格上昇も引き起こす。

世界経済に占めるロシアのシェアは2%にも満たない。原油や天然ガス頼みの貧弱な経済力を猛々しい軍事力でカバーする構図は北朝鮮と同じだ。

国際的な武力紛争の取り決めである「ジュネーブ条約」は、原発への攻撃を明確に禁じている。核の惨事、すなわち放射能被害は、地球規模で悪影響を広げ、人々が世代を超えて危険にさらされるからだ。ザポリージャ原発は外部との通信が絶たれ、チェルノブイリ原発では作業員の交代も滞っていると伝えられる。

この侵略で、わたしたちが見てきた世界の風景が一変した。ユニクロも丸亀製麺もトヨタなどの日本企業も、マクドナルドやコカコーラやスターバックスなどの世界企業もロシアでの一時休業や撤退を決めた。この動きは、「平和と人権」という人類普遍の価値、すなわち「利他」がビジネスにも大切な価値観でなければならないという裏付けでもある。

だが、わたしたちは、この経済制裁が、罪のないロシアの市民の「普通の生活」を脅かすことにもなるという複雑さも視野に入れなければ、本当の「利他」とは言えない、と私は思う。

この侵略戦争で、北朝鮮が日本の近海に頻繁に撃ち込むミサイルがより危うく目に映るようになった。台湾統一への野心を隠さない中国の動向もこれまで以上に気がかりになってきた。

例えば、仮に、中国がロシアと同じように、台湾に軍事侵攻すれば、日本とアメリカは、台湾と政治や経済、軍事面においても極めて親密な関係にあるから、日本に駐留する米軍基地の約7割がある沖縄が、中国の台湾侵攻を食い止めるのに、その役割を果たす中心の場になることは容易に想像できる。実際に現在、沖縄の米軍基地にこれまで以上に米軍の戦闘機などが飛来するようになったという報告もある。

動揺せず、落ち着いて状況を見極める視点が大切であろう。韓国でも政権交代があり、ユン・ソギョル(尹錫悦)氏が大統領に就任した。長年にわたって冷え込んだ日韓関係の平和的改善を心から望むものである。

 

先日の「3.11」。素晴らしいプレゼンテーションだったと思う。よくぞ、生徒会やヒューマンライツ部は11年間、先輩たちからの「寄り添い、学び続ける」というバトンを確実に受け取り、その思いをつないでくれていると誇りに思う。決して、他校にはない「人を大切にする」という「利他」の視点が色あせない盈進オリジナルの活動である。まさに「継続は力なり」。

君たちの先輩に山本真帆さんという新聞記者がいる。11年前、高校1年生だった真帆さんも地震、津波、原発事故にことばを失った。真帆さんは「被爆地広島と同じように放射能に苦しむ福島と、津波でがれきと化した東北に行きたい」と強く思い、震災4ヶ月後、実際に福島と宮城の地に立った。そして直接、被災者の声を胸に刻みながら自らに問うた。

「なぜ、いのちが救えなかったのか。どうすれば傷ついた人の声をもっと多くの人々に発信できるのか」と。

だから、山本真帆さんは、慶應義塾大学総合政策学部を志望した。そこで防災学を専門に学び、大学3生の時に交換留学で1年間、脱原子力を宣言したドイツに学んだ。真帆さんが大切にしたのはやはり「どうすれば」という問いであり、「なぜだろう」という悩む行為である。

 

わたしの好きな科学者に永田和宏という京都大学の名誉教授がいる。その永田先生が『未来の科学者たちへ』という本の中でこんなことを述べている。盈進の朝夕のSHRを「問え、悩め」の時間に設定した理由でもある。

「インターネットはすぐに答えを得られるので便利な反面、『なぜだろうか』と思って疑問を抱え込み、自ら考えるという時間を少なくしている。これでは想像力が働く時間がない。…『わからない』ことがあるからこそ『知りたい』という欲求がわくのだ。『わからない』という時間にどれだけ耐えられるか。その耐えている時間こそが〈知へのリスペクト〉を醸成する時間なのだ。どれくらい自分の中で問いや疑問を維持し続けられるか。…『どうしてだろう』という時間は心を豊かにしてくれる…」(一部改)。

わたしたちはみな、「なぜロシアはウクライナに軍事侵攻したか」を問い、「どうすれば止められるか」を、「利他」の視点で考え、悩みながらも、平和の思いを紡ぎ、状況を変えなければならない。

世界はウクライナの問題だけでない。アフガニスタン市民のタリバン支配による苦難。香港の民主化統制。ミャンマーの圧政など、世界のあちこちで独裁者たちが人権と平和を侵害し、民主主義を踏みにじっている。難民問題も、子どもの貧困も、すべて、わたしたちの日々の暮らしに結びついている。

だから、現在と未来は、君たちに託されている。だから、盈進共育「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」ことがますます、求められる。そして、この社会を生き抜くための哲学を身につけることも、時代が求めている。そのために、来年度2022年度も、いま以上に、クラスやクラブで心身を鍛え、本を読み、勉強し続け、自ら心と教養を耕してほしいと願う。

 

(中略)

 

諸君、4月5日の始業式に会おう。そして、多くの新入生を心から歓迎し、仲間となろう。

盈進の合いことばは117年変わらず、「利他」の視点を忘れない「仲間と共に」なのである。

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