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2022年度 3学期「始業のことば(校長)」

2023年01月06日

3学期 始業の言葉(校長)

 

生徒のみなさん、新年にあたり、ことしも、よろしくお願いします。

6年生の諸君。「共通テスト」まで残り1週間。私大「一般入試」はもう始まる。最後まで仲間と声をかけ合い、自分の弱い心と闘う。決してあきらめない。「地道な準備と地道な努力」はきっと、いや、何らかのかたちでいつか必ず、良い結果としてあらわれるから。

しかし、たった1回の試験の結果で人生が決まるわけではない。時には「ふ~」と力を抜いてみるのもいい。コロナとインフルに気をつけて、最後まで自分が決めたより高い目標に向かって、やり抜く。

昨年、わたしが最も印象に残っていることば。これは、終業式では言わず、きょうの始業式にとっておいた。それは、甲子園から帰ってきた硬式野球部主将・朝生弦大君のスピーチだった。「伝統の盈進のユニフォームを着て、大好きな仲間たちと大好きな野球ができて幸せでした」。

諸君、ことしも「EISHIN」の文字に誇りを持ち、勉学に、クラブ活動に、大好きな仲間たちと大好きなことを一生懸命にやって、自分の能力を思う存分に発揮し、伸ばしてほしい。常に、「平和・ひと・環境を大切にする」盈進生として。盈進共育「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」ことを胸に刻み、創立119年経っても、決して色あせることのない建学の精神:実学の体得「社会に貢献する人材となるために」、地道な準備を怠らず、地道に努力し続けよう。盈進の教職員はそんな君たちを全力で応援する。君たちは、その存在だけで、どんなときも、わたしたち教職員の、いや、社会全体の、世界中の希望なのだ。諸君が新たな盈進をつくり、諸君が戦争も差別もない「共に生きる」社会をつくる主人公である。

 

諸君は、どんな気持ちで新年を迎えただろうか。希望に満ちあふれる新年であったであろうか。

わたしの新年はやはり、重苦しかった。ウクライナ危機。世界は戦争中なのだ。空襲警報に怯え、死と隣り合わせの氷点下10度を超える中でにあっても、電気が使えず、寒さに耐えている人々を思うと……ミャンマーでは、アウンサン・スーチーさんをはじめ、民主化を担ってきた人々が軍部に拘束され、暗く冷たい独房に監禁されていることを思うと……正直、なかなか正月気分になれなかった。

昨年末、難民などの支援を続けるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の会報が届き、読んだ。コロナが収束しない中、シリアやイエメンなどの紛争は長期化し、パキスタンやソマリアをはじめ多くの国や地域で洪水や干ばつが起こり、多くの人が避難を強いられ、家を追われた人は1億人を突破する事態となったという現実を突きつけられた。ぬくい部屋で「おめでとう」という言葉を出すこと自体に何か、後ろめたさを感じた正月だった。

12月の終業式でも振り返った2022年は、混迷の1年として歴史に刻まれる年となるだろう。プーチン大統領率いるロシア軍のウクライナへの侵略はまさに、民主主義を脅かすものである。そして、あろうことか核兵器の使用をちらつかせ、世界に脅しをかけている。ではわたしたちは、どうやってわたしたちの民主主義を守るのか。

憲法に戦争放棄をうたうわが日本にとって、また、戦争反対、核廃絶を訴え続けてきた広島・長崎にとって、到底許すことができないこの現実にわたしたちはどう立ち向かうか。5月に広島で開催される「G7サミット」(主要7カ国首脳会議)での日本の役割と発言に世界が注目すると思われるが、それに向けて、中高生の諸君がアクションを起こすことにも期待したい。

軍事力に頼り、自国の優位性を誇示する国はロシアだけではない。中国は核兵器を含めた軍事力強化を加速させている。北朝鮮の再三にわたるミサイル発射を看過するわけにはいかない。そういった事態に対し日本政府は12月、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有をはじめ、防衛力増強の必要性を主張し、そのための増税も打ち出した。

ウクライナ危機に直面した日米やヨーロッパ諸国は、ロシアに対し、貿易や決済の制限などの制裁措置をとり、世界の物流やお金の流れが停滞した。それによってエネルギー価格が高騰し、世界の多くが約40年ぶりのインフレに見舞われた。このような状況の中、政府は東日本大震災以降、「原発の新増設や建て替えは想定しない」というエネルギー政策の基本方針を掲げていたが、これを大きく方向転換。「原発を最大限活用し、政権の重要政策である脱炭素化やエネルギー安全保障を推進する」と打ち出した。

だが、これらを決めた政府に対し、危機を口実にして国会を軽視しているという批判も根強くある。国民の代表が集まる国会で意見を出し合い、合意形成に努めるのが代議制の基本である。政府はその民主主義の基本原則の「対話すること」をないがしろにしているという批判である。

こう見てくると、世界中が「分断と対立」ばかりで新年早々、未来に希望が見いだせず、こんな時代をつくってしまったひとりの大人として、諸君に「大変申し訳ない」と感じてしまう。

わたしは1学期からずっと、始業式や終業式の話のテーマに「面倒でも対話を」をすえ、民主主義には「対話」が不可欠、外交の基本も軍事力による解決ではなく、話し合いによる「歩み寄り」すなわち「対話」が大切だと言い続けてきた。

民主主義の基本は、多くの意見を聞き、少数意見を掬い上げる努力を怠らず、そして偏らず、できるだけみんなが理解、納得するように対話することである。が、それには時間がかかる。そして、対話に使う「言葉」に責任を伴う。だから、「面倒でも対話を」ないがしろにしてはならない、「言葉」を大切にしようと、わたしは自分に言い聞かせつつ、諸君にもそう伝えてきた。そして、分断や対立が渦巻く混沌の時代だからこそ「自分はどう生きるか」という哲学をもつためにも「本を読もう」と諸君に伝えてきた。

 

きょうも「面倒でも対話を」をベースにすえる。そして、テーマを「小さな声を聞く~自分と対話し、自分を磨く~」とする。話の後半には冬休みの「問え、悩め」について言及する。

覚えているだろうか…。2学期終業式のテーマ「目的と目標を分けて考える」をもとに伝えた「なぜ、学習するのか」について。

現在、ウクライナへ侵略するロシアは、その前身のソビエト連邦時代、第2次世界大戦中の1941年から1945年にかけて、ヒトラー率いるナチス・ドイツと激しい戦争を繰り広げていた。これを「独ソ戦」という。人類史上最悪の犠牲者数で知られる独ソ戦で、ソ連は100万人以上の女性を戦場に出した。10代の女性も、狙撃兵や衛生兵などとして戦場に出た。

『戦争は女の顔をしていない』。冬休み、約500頁のこの本を読んだ。作者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴッチさんは、戦争で心身に深い傷を負いながら沈黙してきた女性たちの「小さな声」を辛抱強く拾い集め、2015年のノーベル文学賞を受賞した。アレクシエーヴッチさんは、ウクライナ人の母と、ロシア・プーチン政権を支持するベラルーシ人の父を持つ。ロシア語で育った彼女は、現在の戦争に戸惑いを隠せない。

わたしは、『戦争は女の顔をしていない』を、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんの文章に教えてもらった。

いま、わたしたちは、戦争を「甘く」見ていないだろうか、と思う。いや、58歳のわたしは、この本を読んで、広島や長崎の原爆、沖縄戦の集団自決(強制集団死)やホロコーストの大量殺戮などを学んでいてもなお、戦争を「甘く」見ていたと、自分を問い反省した。特に、男性のわたしは、女性の視点で戦争を見る目が足りなかったと猛省した。いま、ウクライナでは、「独ソ戦」のソ連と同じように、女性兵士が戦場に出ているのだが、この本にあることは現在のウクライナでも起きていることだと、わたしたちは認識しなければならないと思う。

この本のあちこちに、女性たちの慟哭(悲しみに耐えきれずに声を上げて泣くこと)があった。泣き声が響いては仲間が危険にさらされるからと自分の赤ん坊を冷たい沼に沈めるしかなかった母親がいた。シラミと汚泥にまみれながら、男たちといっしょに前線で銃を持ち、生理の際に出る経血を垂れ流すしかなく、最後にはその生理も止まってしまった女性たちがいた。敵を見張る任務の恐怖から、わずか2時間で白髪になった女性の証言に息が止まりそうにになった。戦地にイヤリングを持って行ったささやかな抵抗も証言にある。捕虜になり、性暴力で妊娠した末に自ら命を絶ったロシアの女性や、一晩中兵士たちに暴行されたドイツの少女たちもいた。そんな女性たちの悲鳴や叫びがずっと胸に突き刺さった。

年明け1月1日、元旦の『朝日新聞』一面は、偶然にもそのアレクシエーヴッチさんのインタビュー記事だった。彼女が語る。「私たちの誰もがとても孤独です。人間性を失わないための、よりどころを探さなくてはなりません」と。

アレクシエーヴッチさんは、『戦争は女の顔をしていない』の他に、チェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故の遺族など、常に社会や時代の犠牲となった「小さき人々の声」につぶさに耳を傾ける。わたしは、彼女の仕事に学びたいと思う。彼女の根幹にある日常では忘れられがちな「小さき人々の声」を聞く努力を怠らないという仕事に。

 

冬休み、もう一冊、心を揺さぶられた本がある。非行に走る少女たちの声を丹念に拾い上げ、彼女たちを支援する上間陽子さん(現、琉球大学教授)の『海をあげる』。2021年の「ノンフィクション本大賞」だ。沖縄での日常を、幼い娘のかたわらでそっと静かに綴った本。その中の「優しいひと」というエッセイに希望をもらった。

12月、沖縄学習旅行の2年生のグループ活動で、わたしは辺野古の海を案内した。辺野古は、沖縄県宜野湾市にある米軍の普天間基地を移設するためにその代替となっている場所だ。

「優しいひと」は現在、一橋大大学の大学院法学研究科博士課程の元山仁士郎さん。彼は普天間基地のある宜野湾市出身。約4年前、元山さんは仲間と一緒に辺野古移設の是非を問う県民投票を実施するための署名を集めた。結果、署名数は法定数を上回り、県民投票条例が県議会で成立した。しかし、県内の5つの市が投票の実施を拒否。

元山さんは19年1月、なにも食べずに抗議するハンガーストライキ(ハンスト)を行い、5日目にドクターストップがかかるまで続けた。こうした行動が県議会を動かし、「賛成」「反対」に「どちらでもない」を加えた3択で投票は全県下で実施されることになった。そして投票は実現され、「埋め立て反対」が投票総数の72%を占めた。だが、にもかかわらず……辺野古の海はいまも、埋め立てが続いている。

上間さんのエッセイ「優しいひと」は、元山さんへの「後ろめたさ」が背景にある。

ある夏の日、著作活動などで知名度が上がった上間さんのもとへ元山仁士郎さんが訪ねてきた。その時、元山さんが上間さんの仕事や考え方に共感しながらも、こんな言葉を投げかけた。

「もっと広げてもっと直接社会に訴えるような活動をすることも必要だと思います」

上間さんはその言葉に、元山さんが彼女の忙しさをまったく理解していないと感じ、「私にはこれ以上、なにかにさける(時間の)ゆとりはない」と言い返し、「本当に頭にきた」ので話を打ち切ったと述懐する。

すると元山さんは「今日も忙しいなかで時間をつくってくれたんですよね。本当にごめんなさい」と、何度も頭を下げ、大きな体を小さくまるめて帰っていった。しばらくしてすぐ、元山さんから上間さんに「心から反省しています」と書かれたメールも届く。そのような出来事があって間もなく、元山さんが仲間と「辺野古」の県民投票の会を立ち上げたことを上間さんは報道で知る。その時の上間さんの気持ちは、エッセイにこう綴られている。

大きな体を小さくまるめて謝った元山さんのことを思い出して、今度は私が小さくなる。この前、私がはなった言葉は、元山さんに言うべき言葉ではなかった。あの日、元山さんはこの計画(「辺野古」県民投票)について話そうとしたかもしれないと考える。あの日、私は元山さんの考えを聞いて、それから一致点を探ればよかったのだ。あの日、私は大人気ないやり方で大人ぶった。あの日の私のやり方は、大人気なくて恥ずかしい。

そして、上間さんは元山さんに対して、こんな思いを抱く。

「私の言葉を聞こうとした一番優しいひと」だったに違いないと。そして、上間さんは、小さな娘とハンストを決行する元山さんを訪ねた。小さな娘は、元山さんがなにも食べていないことを知って、自分がもらったお年玉をあげようとする。吹きさらしの小さなテントから目の下にクマをつくって這い出てきた元山さんは、「なんで~、自分にことに使ったらいいさ~」と、にこにこ笑って娘を見つめた。

エッセイの最後で、上間さんはこうつぶやく。

「もっと広げてもっと直接社会に訴えるような活動をすることも必要だと思います」。

私はあの夏、元山さんにそう言われた。それはたぶん、元山さんだけの言葉ではないのだろう。元山さんにバトンを渡しただれかがいて……それからほかのだれかにバトンを渡してリレーは続く。……私もいつか、元山さんの言葉に追いつくことができるだろうか。……吹きさらしのどこか……元山さんがあの日ああしてひとりで座ったように、私もまた、ひとりでどこかに座ることができるのだろうか。

わたしはこのエッセイに、対話する意味と言葉の大切さと責任の重さ、そして社会問題に対し、あるいは何かの不条理に対して誰かが声をあげなければならないということ、誰かの小さな行動がきっと、誰かの胸を打ち、誰かにつながるのだということを教えてもらった。そしてこの一文に心を打たれた。「私もいつか、元山さんの言葉に追いつくことができるだろうか」。すてきな言葉だ

わたしたちは、仲間、家族など、いま身近にいる人の「小さき人々の声」を聞かなければならない。そして、その声を聞き、「自分と対話し、自分を磨く」努力を怠ってはいけないのだ。

 

アレクシエーヴッチさんの本を教えてくれた安田菜津紀さんの記事が元旦の『朝日中高生新聞』に掲載されていた。安田さんは現在35歳。東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で、難民や貧困、災害の取材・発信をするNPO法人「Dialogue for People」の副代表。「Dialogue」は対話。「Dialogue for People」を訳せば、「世界の人々のために対話する」という意味になろうか。

『朝日中高生新聞』に掲載された安田菜津紀さんの記事を引用する。

見出しは「社会の不条理に対して声を上げよう」である。

元々、海の向こうで起きている問題にはほとんど関心がありませんでした。大きなきっかけになったのは高校2年生の時……カンボジアに行ったことです。私は中2で父を、中3で兄を亡くしました。当たり前に隣にいた人が居なくなることをどう受け止めればいいのかわからず、とにかく違う環境に身を置きたかったのです。現地では同世代の子どもたち(が)……人身売買や虐待のつらい過去を一生懸命に伝えてくれた。これまで伝聞だったものが、友だちが抱えている問題になったんです……帰国してから自分が感じたことを一人でも多くの人に伝えようと学校で話したり、雑誌社や新聞社にアプローチしたりしました。学校では写真をきっかけに興味を持ってくれる友だちもいて、写真は最初の関心を引き寄せることができると気がつきました。

だから安田さんはフォトジャーナリストになった。そして、諸君にこんなメッセージを送っている。

中高生のうちに身につけるべきなのは、「従う」ことではなく、「あらがう」こと。社会の不条理を見過ごさず、声を上げてみてください。必ず仲間が現れます……

安田さんは、記事の中で「勉強の目的」も語っている。

受験では……勉強の目的が明確になりました。よりたくさんの人とつながるには英語が必要だし、歴史を学ぶことは社会を理解すること。モチベーションができました。

安田さんにとって英語を学ぶ目的は「よりたくさんの人とつながるため」。歴史を学ぶ目的は「現在の社会を理解するため」なのである。私はとても共感する。

同じように、国語は、理科は、数学は、保健体育は、家庭科は……と引き続き、諸君には考えてもらいたい。教職員も「なぜ、自分の教科を学習するのか」について、生徒と対話し、生徒に語ってほしい。そして、「なぜ、自分はその教科の教員となったのか」「なぜ、自分は学校の職員なのか」、いま、その原点を見つめるべきであるとわたしは思う。

「なぜ、あいさつをするのか」についても引き続き、生徒も教職員も、仲間と対話して考えてほしい。そして、その大切さを自ら理解し、仲間と共に自ら実践してほしい。ひとつのあいさつが自分を変える。ひとつのあいさつが社会を変える、と私は信じている。

 

先日、少子高齢化社会の問題に挑戦する人々を知って元気が出た。日本で生まれた赤ちゃんの数は減り続け、昨年は80万人を下回わった。日本は世界第一位の高齢化率である。65歳以上の人口が3割を超えている。

少子化に挑戦するのは、自ら起業し、少しでも育児に余裕を持たせたいと、赤ちゃんの泣き声をAIで解析するアプリを考案した人である。ベビーとテクノロジーを合わせた造語「ベビーテック」という言葉をはじめて知った。

元大学教員で現在90歳の樋口恵子先生。長年、特に女性の視点から、国の介護保険制度の導入などを牽引してきた先生で、わたしはとても尊敬している。

「ファミレス社会」という言葉を知った(「ファミリーレストラン」のことではない)。「ファミリー(家族)」が「less(より少ない)」になるという社会現象をさす造語だ。家族も子どもも少なくなって、高齢者が地域で孤立する現代社会をどう変えるか。90歳になってもなお、孤独な高齢者をどう支えるかを考え、社会の第一線で発言するそのエネルギーを感じて、「わたしもグズグズ言っていられないなあ」と奮い立った。

「ベビーテック」も「ファミレス」も、「小さな声」を聞くことからしか始まらない研究である。

 

北棟(中学校棟)と新校舎をつなぐ2階の通路に中学生の読書感想文が掲示してある。中学生400人弱の中から最高賞の「校長賞」を受賞したのは中学2年の柴田柚希(ゆずき)さん。

柴田さんは『ミライの授業』という本を読んだ。次の一文は、およそフツウの中学2年生には書けないと私は思った。

「私は、物事について考えるとき、みんなと同じもの、似ているものに近付けてしまう時がある。みんなと意見を共有できたり、安心・安全に物事を進められるということについてはメリットかもしれないが、私だけが見つけることができる発見はそこには存在しない」

 

君たちには無限の可能性がある。わたしは本気でそう信じている。その可能性が本物の力となるか、可能性のまま眠ってしまうか。それは、日々の「地道な準備と地道な努力」次第だ。

そして「小さな声を聞き、自分と対話し、自分を磨く」ことができる人であるかどうか。

わたしは、そんな人こそ、「自分だけが見つけることができる発見」をするのだろうと思う。

そして、この分断と対立の時代に希望の光をともすことができる人であろうと確信する。

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