2023年04月06日
1学期 始業のことば
……119年経っても決して色あせることない「盈進スピリット」の下で、新しい仲間と共に、自分で考え、自分で行動し、「平和・ひと・環境を大切にする」世界的な視野を持って、激変の21世紀を生き抜く「新しい盈進」を、共に創ってほしいと切に願う。
盈進の未来、地域の未来、日本の未来、地球の未来を創る主人公は、誰でもない、諸君である。
そのために日々、心も体も「健康第一」だ。だから、規則正しい生活を送る。盈進は、きょうから、全校あげて、次の二つを実践する。
ひとつめ。毎日できるだけ8時間の睡眠を確保すること。
ふたつめ。毎日最低1時間(1時間以上)の集中した家庭学習をすること。
この二つの実践は、諸君の授業への集中度を高め、学習理解の深化と、クラブ活動の充実をもたらすだろう。そうすると、学力アップ、クラブの実績アップにつながる。
先日、本校3年生に「適切な睡眠」を説いてくださった福山を代表する脳神経外科医の大田浩右先生は「特に若者は、十分な睡眠をとって脳を休めることで健全に成長する。でなければ、集中力も低下し、学力も伸びない」と言っておられた。
睡眠学を専門とする東京工業大学の駒田陽子先生は、2月21日付毎日新聞で、大田医師と同じく、「中高生は毎日、最低8時間睡眠をとるべきだ」と言っている。睡眠には脳や心身を休息させながら機能を調節する働きがある。身長を伸ばしたり、脳をよりよい状態に調整したりして学習や運動の能力を大きく飛躍させる働きがある。逆に、睡眠が足りなければ、肥満リスクやうつの傾向が高まり、記憶力も低下し、ひいては学習成績や幸福感、生活の質の低下を招く、と言っている。また、日本経済新聞は3月25日、「カラダづくり」の特集で、「デジタル認知障害」を取り上げ、スマホの長時間利用は、脳内の情報整理を妨げ、学ぶ力の低下や物忘れを引き起こしていると指摘している。要するに、スマホやタブレット依存によって、健康障がいに陥るという指摘であり、警告なのだ。
文科省は最近、小中学生の不登校の児童生徒が24万人となり、過去最多を更新したと発表した。増加は9年連続だ。また、小中高校生の自殺者は512人となり、これも過去最多になったとも国が発表した。この背景にスマホやタブレット依存があること、SNSや動画等の不適切な利用があることは想像するに難くない。諸君にも思い当たる節はないか。
このような社会環境で、授業に集中できない、居眠りをしてしまう、まったく家庭学習をしない、あるいは机につくものの、スマホをいじって集中できずに無駄な時間を過ごしている者がいることも現実ではなかろうか。それで学力が伸びるはずがない。クラブ活動を含む「ひとづくり」と「学力向上」は、建学の精神に則ったわが盈進の最大のミッションである。できるだけ8時間という適切な睡眠の確保と、毎日最低1時間(以上)の集中した家庭学習を実践することは必然的に連動する。必ず、クラブ活動の充実にもつながる。
約2週間前の3学期終業式と同じ内容をもう一度諸君に伝える。
3年間、コロナでみんな疲れた。そして日常が変わった。コロナは今後、季節性インフルエンザと同等の扱いとなる。だが、マスクを外す生活が始まれば瞬く間に、感染拡大が広がるとの指摘もあるから、引き続き基本的な感染防止には努めなければならない。それでも確実に、目の前まで「変わった日常が訪れている」と言ってもよい、と私は思う。
あわせて、ロシアのウクライナ侵略で経済も政治バランスも変わった。私たちの暮らしをも脅かしている。紛争はウクライナだけではない。中東シリアでも民間人への弾圧が続く。シリアは、トルコ・シリア地震で二重の打撃を受けている。アフリカでも紛争が深刻化し、ミャンマーでは軍によっていまも市民の命が奪われている。自由や平等、民主主義等、人類の普遍的価値観が問われ、世界は大きく変化している。であるなら、この激変の社会状況で、われわれ自身がどう変わるか。そう、私たちは変わらなければならないのである。
「Be the change you want to see in the world」。非暴力主義を掲げ、インド独立の父となったマハトマ・ガンジーのことばを終業式でも紹介した。「あなたがこの世界で見たい変化に、あなた自身がなりなさい」という意味だ。私はいまも尊敬するガンジーの哲学に学んでいる。
きょうは終業式同様、「変わる」をテーマに話をする。きょうはその「ChapterⅡ」。
3学期終業式後、WBC(World・baseball・classic)で「侍ジャパン」が世界一に輝いた。準決勝のメキシコ戦は、劇的なサヨナラ勝ち。サヨナラヒットを放ったのは、日本のプロ野球「ヤクルト・スワローズ」に在籍し昨年、最多ホームランを含む3冠王を達成した村上宗隆選手だ。
だが、この打席まで、村上選手は打撃不振にあえいでいた。気力のない「見逃し三振」に、多くの野球ファンがため息をついたに違いない。そんな村上選手に、栗山秀樹監督は代打(ピンチヒッター)を出すこともなく、また、「送りバント」のサインを出すこともなく、「おまえが決めろ!思い切っていけ!」と伝えた。自分を信じるそのことばに、村上選手は「腹をくくった」と言っていた。打席に立った村上選手の顔が、それまでの表情とは違っていた。まったく迷いない勝負師の顔。目が血走っていた。まさに鬼の形相。日本の三冠王の意地と誇りを全身からはなっていた。なんという集中力か、と私はテレビの前で釘付けになって見入った。
センターオーバー、フェンス直撃のサヨナラ二塁打に私も興奮し、拍手喝采だった。
私が諸君と共有したいことはその後のインタビューだ。それも村上選手ではなく、あの大谷翔平選手のことばだ。大谷選手がその村上選手のサヨナラヒットについて、こう語っていた。「ムネ(村上選手の愛称)なら打つと信じていました。ムネはずっと、誰よりもバットを振っていましたから」と。しびれた。信じ合う彼らの仲間としての絆に目頭が熱くなった。だが、私が諸君と最も共有したいことは、村上選手が誰よりもバットを振って、この打席を迎えたというプロセス。その「変わらぬ」陰の努力と、それをちゃんと見ていた仲間がいるという事実である。つまり、成功は決して偶然ではないということ。悩んでいるからこそ「変わらぬ」地道な努力を続けるということ。その決して派手ではない「変わらぬ」地道な努力は、陽のあたる場所で行っているわけではないけれど、その姿には必ず誰かが共感し、信頼を寄せてくれるということ。まさに、「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」という盈進共育の実践と同じであるということ。それは、学習にも、大学受験にも、クラブ活動の戦績にも、学級活動にも、英検にも、Listening Timeにも、掃除にも、すべてに通じるということ。不振にあえいでいた村上選手が、世界の劇的ヒーローに「変わる」きっかけは、「変わらぬ」地道な陰の努力以外の何ものでもないということ。
「変わる」ためには「変わらぬ」地道な努力の継続が大事だということである。
これから、1ヶ月前の3月1日、高校の卒業式で述べた内容を、きょうの「変わる」というテーマにそって、諸君に話をする。教職員のみなさんと高校卒業式に出席していた生徒諸君には同じ話で申し訳ないと思うが、もう一度。 小中高と、私も野球をやっていた。その私がある人との出会いがきっかけで「変わった」という体験談である。
4ヶ月前、この本を自分に重ねて読んだ。『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』。著者は現在、東京大学准教授の斎藤幸平さん。他者の犠牲の上に成り立つ大量生産・大量消費型の社会を批判し、ベストセラーとなった『人新生の「資本論」』の著者である。2冊とも「のBooks」の本である。斎藤さんは「学者は現場を知らない」という批判を潔く受け入れた。だから、自ら現場に行き、現場の人と同じように働いて考えた。
その体験をエッセイにした本がこれ。『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』である。斎藤さんは言う。「閉じこもらずに、他者に出会うことが、想像力を鍛える。だから、現場に行かなければならない」と。
汚い場面も出てくるが、少しだけ、私の体験談を聞いてほしい。タイトルを「この本」よろしくこんな風にした。『ぼくはキャンプでヘトヘトとなって、アキにトイレで試され、アキを横にして海を見つめて泣いた』と。
あれは私が大学3年の夏。もう約40年近く前のことだ。歴史学の専門書を中心に難しい本を読んで頭でっかちになっている自分に、どこか嫌気がさしていたころだった。
自分を変えたくて、重度の知的障がいがある人たちとキャンプをするボランティアに出かけた。1週間ほど海辺のキャンプ場で24時間、寝食を共にする。野球で鍛えた体には自信があった私は、自ら志願し、いちばん手のかかる「アキ」という名のわたしと同い年の男性を担当することとなった。
アキをご両親からあずかる際に睡眠薬を渡された。お母さんが私にこう告げた。「アキは寝ないので夕食後にこれを飲ませてください。でないと延君の体力が持たないと思う」。私は心で誓った。「睡眠薬が体にいいはずがない。睡眠薬は使わない」と。
アキのことばは「あー」とか「うー」。アキは私たちが使用することばを持たなかった。
アキを甘く見ていた。まったく言うことを聞かず、海岸線をとにかく走り回った。目を離すとその隙を突いて、どこまでも走って行った。追いかけっこに私は、くたびれ果てた。
1日目の昼過ぎ、アキがいない。とうとう捜索願を出した。「海で溺れて死んだなんてことになったらどうしよう」。最悪の結果ばかりが頭をよぎり、生きた心地がしなかった。
「見つかった」と連絡があり、連れに行った。「心配したんだぞ!」と厳しく言う私に、アキは抵抗を示した。
夕食。アキはバナナしか食べなかった。私は「早く寝てほしい」と思っていた。だから「アキ、食べてくれよ」と何度も言った。でもアキは、私が差し出すスプーンを手ではじいて食べなかった。それでもアキは、その後のキャンプファイヤーでも飛び跳ねていた。
私を睡魔が襲う。睡眠薬が頭をよぎった。が、自らの誓いを思い出して思いとどまった。
夜12時を過ぎてようやく、アキがテントで横になった。だが、必ず私の方が早く寝てしまい、そのすきに、アキがひとりでどこかに行ったりして、また捜索願を出すことになってしまったら…そんなことを思い、アキの体と私の体の両方にキャンプ用ロープを巻き付けて寝た。深夜、アキが「うー」と言って私を起こした。トイレだ。仕方なくいっしょに行った。
トイレと言っても、海岸から少し離れた茂みに、スコップで穴を掘り、まわりをビニールシートで仕切った手作りのいわゆる「どっぽん」トイレ。匂いもきつい。灯りは懐中電灯のみ。
私が外から懐中電灯で照らしてアキが用を足す。しかし、なかなか出てこない。「アキ、終わったか。出ておいでよ」と言う私にアキの泣き声。中に入ると、アキのビーチサンダルが用を足した大便の上に落ちて突き刺さっていた。アキは「うーうー」と叫んで私の腕を引っ張り、私に「それを取れ」とせがんだ。だが、それを取るにはどう考えても、私が寝そべって、「どっぽん」トイレの穴に頭を突っ込み、手を伸ばすしか方法はなかった。私はアキに、「頼むからあきらめてくれ。俺のビーチサンダルをやるから」と言い、トイレを出ようとした。が、アキの叫び声はキャンプ場に響き渡って、何人も心配して起きてくる騒ぎとなった。
鼻がもげそうだった。が、決心した。寝そべって、思いっきり手を伸ばして辛うじてスリッパをつかんで取った。そして、洗ってアキに渡した。アキは満面の笑顔でそれを履き、私を引っ張ってテントに帰っていっしょに寝た。それからキャンプが終わるまで、アキは常に、私と行動を共にして、ごはんもいっしょにたくさん食べた。
最終日、「アキ、明日、バイバイやな」と言いながら、二人で漁り火が見える海を眺めていたら、アキが私に抱きついて、まぶたをベロベロなめてきた。気持ちいいものではなかったが、なんだかうれしくて、愛おしくて、私は海を見ながら泣いていた。アキは、私の泣き顔を見て、思いっきり笑っていた。
別れの時、お母さんに睡眠薬を全部、お返しした。そして、まぶたをなめられたことを伝えたら、お母さんがこう言った。「アキは、大好きな人にしかそれをしないんですよ」。うれしくてまた泣いてしまった。私はアキに、人を愛すること、人に愛されること、人を信じることを教えてもらった、と思っている。そして私は、変わった。ひとはみな、平等なのだ、と心から信じられるようになった。そう信じられるようになった私は、人と出会うことがとても楽しくなった。
諸君、隣にいる人を愛するんだ。出会いを求め、違う世界、異なる価値観を知るんだ。
そして、変わるんだ。さすれば、人は、もっと自由になれる。
明日、入学してくる428人に私は、「大切にしてほしいこと」として、次の4つを伝えてきた。諸君に伝えてきたことと同じだ。
一つ目は、学校で最も大切にすること。そう、「仲間」。信頼する仲間がいて自分も成長する。だから、SNSを含め、仲間をバカにする、悪口を言う、いじめる、差別する等の行為は、絶対に許さない。それは、盈進生ではない。
二つ目。そう、「クラブ活動」。クラブ活動は、目的を同じくする先輩後輩、仲間と日々、切磋琢磨する。継続力、計画力、協調性、共感力、忍耐力などの社会の一員としての人間的な力を身につけることができる。
三つ目。そう、読書。読書は常に自分と対話する。違う価値観を吸収する。「どう生きるか」という哲学を学ぶことができる。じっくり考え、悩み、もがいて答えを出そうとするそのプロセスこそ、論理的思考能力を鍛える道である。
四つ目。そう、英語。多様な国籍の人々と「共に生きる」ために、そして、Global世界を力強く生きるために英語力は必須である。NHKラジオ英会話の講師、大西泰斗(ひろと)先生は、なぜ、英語を学ぶのかについてこう語る。「僕は、英語を学ぶ意味は、自由になることだと思っている。英語で伝えられるようになって、『ああ自分は、世界のどこだって生きていける』という気持ちになることは、人間にとって、ものすごく重要だと感じる。そうすれば、今まで無意識に自分のまわりに築いてきた掘りや垣根を取っ払うことができる。そのために是非、音読、暗唱を、と強く勧める」。私はとても共感する。英語を身につける。そのために、特に、英語に自信がない人は、これまでの自分を少し、変える。さすれば、人は、もっと自由になれる。
2月末、ウクライナ侵略から1年が経過した。戦争の非道は、弱き者に、より重くのしかかる。いのちを奪われた子ども、家族や住み家を失った子ども。少なくとも6000人の子どもたちがロシアの手で、「再教育」のために連れ去られた。そんなおぞましい報告を聞くと、私の体は怒りに震える。が、同時に、無力な自分が歯がゆい。でも、私は、世界が戦争をしているからこそ、諸君と共に、平和な社会を創るためにできることをしたいと思う。そして、教員として、君たちにこそ、平和への希望を託したいと思っている。
5月、G7サミットが広島で開催される。日本の外交力が問われる。被爆地ヒロシマでの開催故、被爆者の苦しみを原点に、世界へ、ロシアへ、核の不使用と核廃絶のメッセージを打ち出してほしいと期待する。人権や環境問題などにも踏み込み、人類普遍の「共に生きる」という思想を被爆地広島から、そして、戦争で加害、被害を問わず多くの犠牲を払ってきた日本から発信してほしいと願う。君たちも自分にできることを考え、行動してほしい。
「Be the change you want to see in the world」。あなたがこの世界で見たい変化に、あなた自身がなりなさい。Be a Challenger、そして、Be a Pioneer。生徒も教職員もみんな、激変の新しい時代の中で、挑戦者となり、開拓者となる。そのために、自分を変える。自分が変わる。「変えない」地道な努力を続ける。さあ、新年度、仲間と共に、それぞれみな、高い目標に向かって進もう。その目標は、決してあきらめてはならない。