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2024年度 3学期「始業のことば(校長)」

2025年01月10日

新年にあたり、諸君と教職員、そしてそのご家族にとってよき1年であることを心から願っています。

能登半島地震から1年が経過した。石川、新潟、富山3県で、災害関連死も含め地震で504人が死亡、石川県では9月の記録的豪雨で16人が犠牲となった。昨年末、韓国の航空機事故で尊い命が多数、犠牲となった。世界の戦争や紛争は止む気配がなく、犠牲者が増え続けている。来る1月17日は阪神淡路大震災から30年となる。中学1年生は毎年、一人息子の貴光さん亡くした加藤りつこさんからいのちの重みと目標を持つ大切さを学んでいるね。まず、それらの人々のことを思い、1分間の黙祷を捧げよう。

6年生諸君。最後まで仲間と共に自分を信じてやり抜こう。北海道大学1年の民宅君が『輝く先輩』でこう述べている。「できる!を口癖に」と。「やればできる!」必ず。風邪ひくなよ。5年生は、6年生の懸命な努力に続き、目標進路に向かって受験への生活と学習のリズムを整えよう。4年生は、6年生,5年生に続いてクラブと学習の両立を果たそう。今年は諸君が盈進の中軸を担うのだから。3年生は、英検上位級取得に向かって毎日汗をかこう。書いて声に出し、書いて声に出す。数学も基礎からやり直すんだよ。2年生1年生は、かわいい後輩が入ってくるから、後輩たちの最も身近な憧れの先輩になろう。

中略

ことしはアジア・太平洋戦争終結から80年の節目を迎える。原爆投下からも80年である。世界を見渡すと暗澹たる思いがまとわりつく。ロシアのウクライナ侵攻は3年近くに及ぶ。パレスチナ自治区ガザへの攻撃をはじめ、中東では悲劇が拡大している。

グローバル化の流れとは逆に、国際秩序を乱す大国の振る舞いによって「法の支配」が危機的な状況にある。「 Make America Great Again 」(アメリカを再び偉大な国にする / アメリカ第一主義)を掲げるトランプ次期アメリカ大統領。彼は、高額関税と移民規制を武器に、国境を越えて流入するモノとヒトに歯止めをかけようとしている。彼は中国には「貿易戦争」を仕掛ける構えを見せている。だが、過度な保護貿易は世界経済の均衡を壊しかねないことは容易に想像できる。世界はこれまで自由貿易を推進し、関税を引き下げる努力をしてきたのに、である。

第二次世界大戦の教訓から誕生した国際連合。だが、その国連は、ロシアのウクライナ侵攻もガザ攻撃を中心とする中東の戦争も止められずにいる。私たちは、戦争という国家による暴力の犠牲になっているのは私たちと同じ市民だということを決して忘れてはならない。ウクライナでは民間人1万2千人超が死亡し、ガザの死者の約4万5千人の半数以上が女性や子どもだとされている。

このような、アメリカ(とヨーロッパ)、ロシアと中国が勢力争いを繰り広げる世界情勢を見れば、いまのところ、近い将来において、平和な国際秩序の回復を期待できそうもない。であれば、戦後ずっと、平和憲法に従い、平和主義を貫いてきた日本はいまこそ、平和な国際秩序を構築するためにその役割を果たすべきだと私は思う。それは、政府だけの役割ではない。日本に暮らす私たち自身にできることは何か、どんな行動ができるかを考え、「できること」をやるべきなのだ。

100年前の1925年は時に、民主主義の気運が高まる「大正デモクラシー」の只中。満25歳以上の男子全員が選挙権を手にする「普通選挙法」が成立した年だった。同時に、共産主義、社会主義勢力が拡大することを防ぐための「治安維持法」もセットで成立。

その1年後の1926年、時代は大正から昭和へと移り、その1年後の1927年には日本経済が崩れていく金融恐慌が発生。その1年後の1928年には、国外では中国東北部において張作霖爆殺事件が起き、国内では「治安維持法」に基づき共産主義者を一掃する「3・15事件」があった。

その1年後の1929年には世界恐慌が発生。日本経済もその影響をもろに受け、「昭和恐慌」と呼ばれる混乱状態に陥る。企業の倒産も相次ぎ、景気は急速に減退。中でも農村は疲弊し、娘の「身売り」などが社会問題化する事態となった。

そういった国内混乱を背景に軍部が暴走。1931年、いわゆる「満州事変」が勃発。日本は以後、アジア・太平洋地域において15年間ずっと戦争状態を歩むことになる。結末として1944年末から続く米軍による本格的な本土爆撃(空襲)、そして1945年3月末からの沖縄戦、8月、2発の原爆。15日の敗戦まで日本は塗炭の苦しみに耐えなければならなかった。現在、それから80年。

ある人は、「現在は100年前と社会状況が似ている」と指摘する。歴史は繰り返されると言うがしかし、あの悲惨な戦争への道を、私たちは二度と歩いてはいけないのである。平和であるから愛する家族といっしょに過ごす毎日がある。クラブもできる。勉強もできる。仲間と会える。先人たちが築いてくれたこの平和のいまを、決して手放してはならないのである。

先日、新聞を読んでいると、京都大学大学院客員教授の山本康正さんの発言に目がとまった。山本さんは「日本は『デジタル敗戦』と言える危機的状況」と言う。デジタル市場でシェアを握るのは、米国を中心とした海外企業。それらに支払うライセンス料や利用料で、2023年貿易収支の「デジタル赤字」は5兆円を超え、日本はまさに海外企業に利益を吸い取られているという現実がその根拠であると山本さんは指摘していた。さらに、現在は「AI(人工知能)の利用も拡大しており、ますますその赤字は拡大するだろう」と山本さんは危機感を募らせていた。

24年のノーベル化学賞を受賞したのは誰か。そう、グーグル傘下ディープマインドの研究者3人だった。たんぱく質の構造を高精度で解析するAIを開発した功績が評価された。開発から数年の技術だが、それだけ社会的なインパクトが強いというメッセージでもあろう。複雑な構造をしているたんぱく質の立体構造予測は、薬品開発や医学研究の観点からも実現が望まれてきた。彼らが開発したAIについて、生命現象を解き明かしていくバイオインフォマティクスの専門家は、その功績をこう、評価していた。

「それまで決定に数年掛かっていたたんぱく質の構造を,計算機で10~60分程度で非常に精度良く予測できるようになった」と。

年賀状はメールやSNSの普及で減少の一途。そこに郵便代金の値上がりが追い打ちをかけ、今年の年賀状は昨年度比で34%も減ったという。携帯電話は10年足らずでスマホに置き換わった。そして、AIを用いれば数年かかっていたことが「10~60分で可能」という時代に私たちは生きていることになる。「10年ひと昔」ということばもなくなるかもしれない。10年先なんて、誰も予測できない時代に私たちは生きている。ならば私たちがそんな時代に対応するにはどうすべきか。

そう、時代を的確に捉えて、私たち自身が「変化し続ける」ことしかない、と私は思う。

諸君、平野啓一郎という作家の『本心』という小説を知っているか。「のBooks」にも置いている。私はまだ観ていないが昨年、映画にもなった。『本心』は、母を亡くした青年が喪失体験を克服できずに母をAIでコンピューター上に再現して母と話し、母の本心を探る物語である。私は『本心』を読んで未来が少し、怖くなった。それが正直な感想だ。人間とAIとの共存は可能か。人間が人間らしくあろうとする条件は何か。読後に、そんなことをしばらくずっと考えることとなった。

私がAIを恐れる第一の理由は「倫理性」である。例えば、ガザでAI兵器が使用され、その結果、凄惨な死が増していると報道にある。しかし、その結果を招くのはAIそのものではない。AIを使用する私たち人間自身の倫理性が問われているということである。つまり、どこまでがよくて、どこからが悪なのかという私たち人間の心の判断基準がますます重要になってきたと私は考える。

AIの登場で、例えば、医療技術は急速に進歩するだろう。がんの治療に有効な薬の開発はすでに盛んだ。であれば、私たちはAIと共存する未来を作り出す必要がある。だが、無自覚にAIを頼ると人間の思考が深まらず、退化していく恐れがあると私は思う。

また、AIの普及で偽情報が拡散し、これまで「あたりまえ」とされてきた秩序や価値観がAIに支配される危うさも顕在化している。昨年あったいくつかの選挙でも偽情報がその行方を左右したのだ。AIが、民主主義という普遍的だと思われてきた価値観さえも揺さぶっているという現実に私たちは生きているのである。

台湾のデジタル担当大臣も務めたオードリー・タン氏は、デジタル技術を駆使して、民意(人々の意思)を集め、民意に基づき(合意形成を図り)、民主主義を常に更新しなければならないと説く。

オードリー・タン氏は言う。「民主主義とは『ある人に関係することには、その人が参加しなくてはならない』ということを意味する」と。「No thing about us without us」(私たちのことを私たち抜きで決めるな)と。そのためにデジタル技術を用いよと。

年末、ある本を読んでいるとこんな一節に出合った。

「……これからの時代、AIだとか量子コンピューターとか、もっともっと進化して、難しい計算とか、未来予測とか、何でもやってくれるわけでしょ。ロボットの技術も進んで人間の役割をどんどん担うようになっていく。生身の人間とロボットの差異はみるみる狭まって、人間だろうがロボットだろうがそう違わない時代が、結構間近に迫っているんじゃないか、って思うの。でもさ、そうなった時、人間が唯一ロボットに勝るのは、感覚なんじゃないか、って気づいたんだ。感じるってこと。だって、いくら技術が進んでも、ロボットは感じることはできないもん……」

小川糸さんの『小鳥とリムジン』の一節である。

「誕生日やクリスマスなんてない方がいい」と、自分の生い立ちを嘆く主人公小鳥と、「世界中にお弁当の輪が広がればいいな」といつもポジティブで感情豊かなリムジン。二人は、リムジンがつくるお弁当の匂いを介して出会い、「本当の愛とは何なのか」を、無条件に信じ合うことで探し求める。

 

後半、「信じる」をテーマに話をする。

私は冬休みに入ってすぐに『小鳥とリムジン』を読んだ。読みながら「AIは他者を信じることができるのか」という疑問を持った。再び、『小鳥とリムジン』から引く。

「コジマさん」は、主人公小鳥が、亡くなるまで介護を担当していた男性である。自然のアロマ(香り)を用いた介護を通じて小鳥とコジマさんの間に、互いに信じ合う心が芽生えてくるのだ。

「……植物たちの様々な香りが、私とコジマさんとの間にトンネルを掘り、お互いの感情を伝え合う新たな通路となって機能してくれたのである。……」

そして小鳥は、コジマさんの人間性を信じて、自分の命と存在を冷静に見つめ始める。

「……なんていうか、コジマさんの生き方は、足元にある小さな野の花を踏んでしまわないように常に注意しながら歩くような感じなのだ。……」

私は、そのような文章表現にとても心洗われた。全身がジーンとするのだ。読書ってやっぱりいいな、と改めて思う。そして私は、他者を心から信じているだろうかと自分を振り返った。

生身の人間にこそ書ける文章に触れる機会は今後、どんどん減るだろう。たぶん、AIだってこんな文章はたやすく書けるだろう。ただ……

AIの書く文章は、与えられた情報を組み合わせて生成される。しかし、そこに創造性(creativityやoriginality)はない、と私は思う。文章を作成していく際に、「他者を思いやる」とか「他者を信じる」とかいう感情は、AIが生成する文章には決して反映しない。

読書は、書き手(作家)と読者(私)の対話という側面もある、と考えている私は、生身の人間 ~小説家とか随筆家とか評論家とか ~が、悩んで、問うて、また悩んで、という“創造性”のプロセスを前提としているが故に心を揺さぶられているのだと思っている。

そう、よく学び、よく悩んで、常に問うて、また深く悩んで、という創造性こそ、人間の人間たる存在理由であり、そのプロセスこそ、私たち人間が、人間性を育むためにとても大切な時間なんだ、と私は思う。そのプロセスを通して、人間は、他者に対する思いやりとか、やさしさとか、他者の悲しみや苦しみに共感する力(感受性)を育むのだ、と私は信じている。

今日のテーマは「信じる」。2学期の終業式では時間の関係で伝えられなかったが、「信じ抜いて勝ち取った」無罪が昨年、私の心を大きく揺さぶった。そう、昨年10月、死刑囚だった88歳の袴田巌さんの再審無罪が確定したのだ。まず、いわゆる「袴田事件」を少し、説明する。

いまから約60年前の1966 年6月、静岡市で一家4人が殺害される事件が起きた。警察は当初から当時30歳の袴田巌さんを犯人と決めつけて逮捕、取り調べを行った。警察は連日連夜、猛暑の中で取調べを行い、便器を取調室に持ち込んでトイレにも行かせない状態にして、袴田氏を自白に追い込んだ。事件から14年が経過した1980年、袴田氏の死刑が確定。

しかし、袴田さんの自白の内容や証拠品への疑いが多く、再審請求(裁判のやり直し)がなされた。そして2014年、袴田巌さんが逮捕されてから約50年後、静岡地裁は再審開始を決定、袴田さんは刑務所から釈放され、死の恐怖から逃れた。そしてついに昨年秋、前述のように無罪が確定したのである。

その袴田巌さんに、逮捕から今まで約60年にわたって伴走してきたのが姉の袴田秀子さん。御年91歳。弟の巌さんの無罪を信じ、独身を貫き、献身的に巌さんを支えてきた。

秀子さんの「無罪を信じ切った約60年の伴走」は、私にはことばにならないほど「すごすぎる」ことである。さらに「すごすぎる」のは、秀子さんがいつも笑顔だということだった。新聞のインタビューに秀子さんはこんなことばを残している。

「結婚を考えてもいいかなと思った人はいたよ。モテたしね。ハハハ」「(でも)子どもができたら、巌のことはどうなるのかと考えた。自分の子どもがかわいくなってしまうでしょう。結婚している兄や姉を見てそう思った。気負いなんかないけど、弟の面倒を見るのは運命だと思っている」

「おっかない顔をしているときもあったと思う。弁護士、支援者も含めてみんな敵に見えたこともあった。変わったのは2014年、再審が決定し、巌が釈放されて戻ってきたこと。巌を死刑の恐怖から救うことができて、一緒にいられるだけでうれしい」と。そしてこう続ける。

「今さら(巌の)元の体を返せと言ったって、そんなものは無理。せめて人生を奪われた巌の体験を社会に生かしてもらいたい。それは再審制度と死刑制度の見直しです」と。このことばは、再審制度や死刑制度に正面から向き合ってこなかった私への、極めて厳しく重い問いでもあった。

わが盈進の学び舎に、自分の意思で、地道に学習する人が増えてきたと思う。とてもうれしいことだ。盈進共育は「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」である。昨年末、自ら合宿学習に参加する5年生をとても頼もしく思った。諸君、それに続くんだ。

諸君、もっと多くの仲間と共に、もっと深く自分で考え、もっと積極的に自分の意思で、学習に、クラブ活動に打ち込んで欲しいと願う。諸君ならその環をどんどん広げてくれると私は信じている。

この正月に発行された英字新聞『α』(アルファ)。その裏表紙を読んで私は感動した。川本佐奈恵さん。子育てをしながら32歳で一念発起。自力で英語学習をはじめた。英語を学習して人生を切り開こうと考えたという。そして今では、来日外国人に日本の魅力を伝えるガイドを行ったり、早稲田大学で英語の講師したりして活躍している。彼女は言う。「English is a cure for most of life’s ills.」(英語が人生のほとんどの苦悩を治療してくれた)と。そして、苦しいとき、常に自分を支え続けたことばを紹介していた。「You can do it!」(君ならできる!)と。最初に紹介した北海道大学1年生の民宅君が受験勉強で口癖にしていた「できる!を口癖に!」と同じだ。

英語の学習は、いや、英語はもちろん、英語のみならず、数学も国語も、すべての教科やすべてクラブ活動で体験し、学ぶこと、それらのすべての学習が必ず、諸君の人生を切り拓き、諸君の人生の苦悩を治療することになる。

だから、今から、自ら変化するんだ。変化し続けるんだ。仲間といっしょに考え、仲間といっしょに行動に移すんだ。毎朝6時過ぎから職員室のオープンスペースで一心不乱に雨の日も風の日も毎日勉強している6年生を見よ。そして続くんだ。

毎朝の「問え、悩め」の時間も、毎日のリスニングタイムも、すべてが諸君の未来を決める進路そのものだ。それを自分の力にするかどうかはそれぞれの自覚にかかっている。クラブ活動も、その一振り、その一つのサーブ、スマッシュ、その一投、 一蹴のシュート、その一文、その一手に心を込めてやるかどうか。自分を信じてやるんだよ。2025年、諸君こそ新しい盈進、新しい日本、新しい世界を創造する人材となると私は心から信じている。

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