2025年03月01日
高校卒業式 校長式辞
「仲間と共に」~創立120年の変わらぬ伝統~
前略
保護者のみなさま、本日はお子さまのご卒業、誠におめでとうございます。
あわせて、これまで本校に対して多大なるご理解とご支援を賜り、心から感謝いたします。
諸君、卒業、おめでとう。諸君と交わしたおはよう、こんにちは、さようなら、元気か、元気です。これらの会話が、明日の日常から消えると思うとやはり、とてもさびしい。
諸君が中学2年になる春にコロナが世界を席巻した。最も多感な中高時代、運動会やクラブの大会、感謝祭も十分にはできないこともあった。でもみな、よくがまんして、後輩たちに範を示し、引っ張ってきてくれた。ありがとう。
そんな日々にあっても諸君は、朝早くから夜遅くまで集中して学習に向かっていた。その姿は必ず、後輩たちに受け継がれるだろう。行事でも真のリーダーとして、またクラブ活動でも、よく努力した。この3年間、フェンシング部、硬式野球部、水泳部は全国大会出場を果たした。
それ以外でも、文化部も含め、中国大会や広島県の上位レベルで活躍した。全国表彰もあった。先ほどの表彰がそれを物語る。心から誇りに思う。諸君こそが、新しい盈進、新しい未来をつくるチャレンジャーあり、パイオニアのリーダーだった。
世界はいま大きな転換点にある。ウウクライナやガザはもとより、世界のいたるところで、紛争や抑圧、弾圧が続き、自由や平等、人権や民主主義、法の支配といった普遍的価値さえ揺らいでいる。ミャンマーでは軍事弾圧が続いている。ウガンダはアフリカで最も多い180万人もの難民を受け入れている。周囲にはスーダンや南スーダン、コンゴ民主共和国など紛争が絶えない国々があるからだ。その難民キャンプでは、食糧配給に痩せこけた難民が殺到し、十分な食料が行き渡らず、食べものを求める叫び声が飛び交っているのである。
そしていま、気候変動問題や核の脅威は、人類生存の危機であると、日々の暮らしの中で意識せざるを得なくなった。諸君はその現実に直面し、未来を生きていかねばならないのである。
いま、地球は、過去10万年で最も暑い状況だ。2024年の世界の平均気温は産業革命前から1.6度上昇、国際社会の目標である1.5度を初めて超えた。大船渡の火事もそうだが、米国ロサンジェルスの山火事等、自然災害は激甚化しているが、この「地球沸騰時代」をわれわれ人類はどう生き抜くべきなのか。
公害の原点である水俣病に苦しむ人々と共に暮らし、水俣に人生を捧げた石牟礼道子は、名著『苦海浄土』のあとがきにこう記している。
「……繁栄の名のもとに食い尽くすものは、もはや直接個人のいのちそのものである」と。
地球の温暖化は、ひたすらに利益を追求した20世紀の植民地支配の歴史と歩みを同じくする。蒸気機関をもった「富める国」が、「持たざる」他者の土地に行って、政治や経済、土地や文化までも奪うことが人間の欲望を満たすありようとして定着し、ついには、その奪い合いが世界的な大戦となって殺し合いに歯止めが利かなくなってしまった。結果、人類はついにパンドラの箱を開け、原爆投下という愚行を犯し、広島と長崎は酸鼻を極めたのである。
ロシアのウクライナ侵略は3年が経過した。兵士の死者数は、両国あわせて約10万人。ウクライナ民間人の死傷者数は4万人以上。避難民の数も膨れ上がり、ふるさとを追われ、水や食料もなく、寒さに凍える人々を思うと胸が張り裂けそうである。
ロシアの侵攻は、中東のパレスチナ問題にも飛び火した。停戦とはいえ、ガザの人々のいのちと尊厳は冒され続けている。世界経済にも波及した。石油などの資源の高騰で、あらゆる国と地域で物価の上昇と生活の悪化が深刻になった。ヨーロッパでは既存の主要政党に対する不満が高まり、特に移民の排斥など、排外的な極右勢力に支持が急速に広がった。
中略
戦争を長引かせてはならない。だが、「力による現状変更」を容認し、公平さを欠けば、法による国際平和の秩序が瓦解する。それは私たちのアジアにも悪影響を及ぼすことだろう。いま、世界が求めているのは公正な和平である。だが、きれいごとは無力なのだろうか。
大国のリーダーたちや、どこの国でもどこの場所でもそうだろうが、財力にしがみつく権力者たちの言動を見ると人間としての品性や誠実さ、謙虚さの欠如を感じるのは私だけであろうか。
私は、「謙虚さ」は、人間にとってとても大事な資質だと思っている。宇宙の中に地球があり、自分は地球80億人のなかの一人に過ぎないという認識や、人それぞれに違った見方や意見があるといった気づきが、人を謙虚にさせるのだろうと私は思う。そこには必ず対話が生まれる。他者の考え方や意見に、謙虚に耳と心を寄せることが生きていく上でとても大切だと私は思う。それは民主主義の要諦である。
だが、かく言う私はまったく不完全な人間で、欲望にまみれて生きている。謙虚さを欠く自分に気づいたとき、自分で自分を戒めなければならないと思う。
そんなある日、石垣りんの本『詩の中の風景』を手にとった。巻末に渡邊十絲子さんの「新しい景色の中へ」という解説があり、何度も読み返した。
「他者の言葉とは、他者の視点である。それらを借りるとき、人はほんの少し自分を超えることができる。他者から発せられた言葉を自分の心の中にしまってみると、同じ景色も変わって見えることがある」と。
国内に目を転じても、景気低迷、物価高、超少子高齢化社会、政治不信等々、克服しなければならない暮らし直結の問題は枚挙にいとまなしである。だが、私たちは、予測できない危機に遭遇し、激変の時代だからこそ、傷ついたり困ったりしている人々の心を感じて、隣にいる人と、そして、世界の人々と、「共に生きる」という視点を失ってはならない。
「AIとの共存」の時代となった。AIは、他者の心と自分とを重ねて、他者を思いやるといった感情を持てるだろうか。AIを駆使したイノベーションには期待する。しかし、そこに、他者と「共に生きる」という視点がなければ、ディープ・フェイクを鵜呑みにするなど、AIによって人間の暮らしが脅かされることはすでに指摘されている。イノベーションは、科学技術によってではなく、人間によってもたらされることを忘れてはならない。
どうすれば、人々がいがみ合わず、支え合い、「共に生きる」社会を築くことができるか。人が人として尊重され、差別されず、幸せに生きることができるか…大学での学問や社会での仕事は、結局はすべて、これらのことを探究、追求するためにある、と私は考える。
諸君の卒業文集『峠』を読んだ。何度も目頭が熱くなった。「友だち」や「仲間」の文字が随所にあった。クラブの部長を務めたある生徒がこんな文章を寄せていた。「盈進での生活は楽しいものだけではなかった。しかし、振り返ると楽しかった思い出がたくさんあり、仲間の存在があったからこそ、私はこれまで多くの困難を乗り越えることができた」と。
諸君は「未来からの留学生」である。この盈進に未来からやってきて日々、仲間を大切にし、仲間と共に、たくましい知性と、しなやかな感性を身につけた。それらすべてを身にまとって、元気に未来に帰ってほしいと願う。諸君は、この地域の、この国の、この世界の未来であり、明日であり、希望である。
伝統校、わが私学盈進の合言葉は120年間、ずっと変わらず「仲間と共に」。それは、「共に生きる」と同じ意味である。建学の精神「実学の体得」~社会に貢献する人材となる~のもと、仲間との絆を大切にしてきたからこそ、120年の歴史が紡がれ、わが盈進はここにある。
諸君。盈進を離れ、それぞれの場所で、新しい仲間と共に、厚い友情を育んでほしい。しかし、苦しかったり、悲しかったりしたときこそ、“盈進”で結ばれたかけがえのない仲間たちと語り合い、支え合ってほしいと願う。それがまた、盈進の歴史と伝統をより強固にすると確信する。
これからが「盈進、盈進、ほこれよ盈進」の本番である。憲法に則り、80年間、戦争をしなかった我が国の歴史を誇りに思い、「平和・ひと・環境を大切にする」心を忘れず、これからも、仲間と共に、自分で考え、自分で行動し、社会や人々のために、それぞれの能力を存分に発揮してほしい。そして、どうか、自他のいのちとこころと健康を何よりも大事にして、元気に、明日と未来を生き抜いてほしいと、切に願う。 終わります。