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2024年度 3学期「終業のことば(校長)」

2025年03月21日

能登半島や大船渡の山火事にも心を痛める。心からお見舞いを申し上げる。

昨晩、イスラエルが停戦中のガザ地区に攻撃を再開し、400人以上が犠牲になったというニュースが流れた。傷ついた子どもを抱きかかえて「助けてくれ!」と叫ぶ父親がテレビに映し出されていて、しばらくことばを失った。あまりに悲しい。

前略

英語の学習を毎日やる。その基本中の基本は単語力(語彙力)。大学受験も最後は英語で決まると言ってもいい。グローバル社会を、語学を鍛えて強く生き抜かなければならない。語学はどんな職業でも必要だ。語学が堪能な人は未来を大きく切り拓く。

3月に卒業した開地歩心(あこ)さん。韓国の最難関大学(日本の慶應義塾大学と言われる)の延世大学に合格した。…開地さんは「私は必ず延世大学に現役合格する」と自分に誓った。そして、どう行動したか。…それまでの生活の無駄を省き、徹底的にアプリを調べ尽くして自分に合ったアプリを決めた。学校で使っている単語帳とそのアプリで、夜も朝も英語と韓国語に没頭。時間管理もアプリでマネジメントしたそうだ。

私は彼女から実際に話を聞いて圧倒された。いつもは笑顔の絶えない穏やかな彼女なのだが、学習の話になると目の色が違って自信に満ちていた。「私は、盈進での生活を、延世大学合格へ向かって、学習に費やしました」とはっきりと言っていた。

中略

盈進で一番大切なものは何か。仲間だ。この考えはこれからもずっと変わらない。他者が大切にされることは、自分が大切にされること。いじめないことは、いじめられないこと、差別しないことは、差別されないことだ。であれば、学校に限らず、どんな場所でも、誰もが安心できて楽しい。

中略

世界はいま大きな転換点にある。ウウクライナやガザはもとより、世界中で、紛争や抑圧、弾圧が続き、自由や平等、人権や民主主義、法の支配といった普遍的価値さえ揺らいでいる。紛争などでふるさとを追われた難民のキャンプでは、食べものを求める叫び声が飛び交っている。

そしていま、気候変動問題や核の脅威は、人類生存の危機である。諸君はその現実に直面し、未来を生きていかねばならないのである。

いま地球は、過去10万年で最も暑い状況だ。昨年の世界の平均気温は産業革命前から1.6度上昇、国際社会の目標1.5度を初めて超えた。大船渡での火事にも心を痛めるが、米国ロサンジェルスの山火事等、災害は激甚化している。この「地球沸騰時代」を私たち人類はどう生き抜くべきなのか。

ロシアのウクライナ侵攻は、国際法違反である。3年が経過し、兵士の死者数は、両国あわせて約10万人。ウクライナ民間人の死傷者数は4万人以上。避難民の数も膨れ上がり、ふるさとを追われ、水や食料もなく、寒さに凍える人々を思うと胸が張り裂けそうである。

米国の新政権は、SNSにリゾート地と化したガザの様子をAIに描かせた映像を投稿した。いま、このときも、水も食料も薬も風呂も布団も着るものもなく、劣悪な環境で死に瀕しているガザの人々を最も強く侮辱する行為であり、私は怒りに震えた。

米国の政権は、多様性も国際協調も否定し、ウクライナの大統領を「独裁者」と呼ぶ。ウクライナには支援の見返りに地下資源を求めるなど、まるで“王様”の振る舞いだ。正しいことだろうか。

戦争終結は誰もが望んでいる。しかし、「力による現状変更」を容認し、公平さを欠けば、法による国際平和の秩序が崩壊する。それは私たちのアジアにも悪影響を及ぼすことだろう。核の脅威も増し、広島や長崎が経験した凄惨極まる歴史が再び起きないという保障はどこにもない。

いま、世界が求めているのは公正な和平である。しかし、先日行われた米国とウクライナの大統領会議の決裂を見ると、「きれいごとは無力なのだろうか」と思えてならない。

ロシアの侵攻は、世界経済にも波及した。石油などの資源の高騰で、世界のあちこちで物価の上昇と生活の悪化が深刻になった。ヨーロッパでは既存の主要政党に対する不満が高まり、特に移民の排斥など、排外的な極右勢力に支持が急速に広がった。

パレスチナ問題にも飛び火した。停戦とはいえ、ガザの人々のいのちは冒され続けている。原因は、長い歴史のなかで解決し得なかった宗教や民族の対立にあるのだが、どうして人間は、悲しみを繰り返すのかと頭を抱えるのは、私だけであろうか。ある日、こんなニュースを聞いて胸が苦しくなった。ガザのシェルターで赤ん坊が生まれた。しかし、劣悪な環境で、そのいのちはすぐに消えたという。涙に暮れる母親の嘆きや叫び声は、誰の耳にも聞こえてくるであろう。

この、先の見えない混沌とした世界を生きていかなければならないからこそ、本を読む。そして、「どう生きるか」を自分で考える。本を読んで、心と頭を鍛える。

昨年秋、郷里福岡に帰省した折、古い友に会うため大分県中津に立ち寄った。中津は、慶應義塾の創立者福沢諭吉の生誕地としても知られるが、わたしにはとても懐かしい場所だった。中津の近郊には、小学生の頃、父に連れられて訪れた「青洞門」があるのだ。せっかくだったので、友に頼んで「青洞門」に連れて行ってもらった。

「青洞門」は、秋の紅葉が美しい耶馬溪という景勝地にあるトンネルのことである。だが、ただのトンネルではない。耶馬溪は岩場の多い台地である。江戸時代、鎖をつたって通行するしかなかった岩場から何人もの人が落下して死亡した。

その不幸を嘆いた善海和尚という僧侶が、人々の命を救うために、ノミと金槌だけで岩を掘り続け、約30年の歳月を経て、人々が安全に通ることができるトンネルを掘り抜いた。現在もそのノミでの掘削跡がみごとに残っている。わたしは、青洞門を通りながら、父が善海和尚の偉業を熱く語っていたことを思い出していた。

そして、ある小説を思い出した。父は、その小説を読んで善海和尚の偉業をわたしに語ってくれたのだ。大正時代に書かれた菊池寛の『恩讐の彼方に』である。諸君も文学史で学習したかもしれない。菊池寛は小説家だが直木賞や芥川賞を主催する文藝春秋社を創業した人でも知られる。

「恩讐」とは、「ご恩と恨み」という意味である。

わたしは『恩讐の彼方に』を読んだことがなかった。だから、10年前に亡くなった父を、少し懐かしみながらこの冬に読んでみた。

『恩讐の彼方に』は善海和尚をモチーフにしたフィクションである。主人公は、若い頃に人殺しを犯した市九郎という名の男性。市九郎は人殺しという大罪を悔いて仏門に入って僧侶となり、その贖罪(罪滅ぼし)に命を捧げて青洞門を掘削するというストーリーである。

そこに、幼い頃、市九郎に父を殺され、父の仇討ちに半生をかける実之助が現れる。仇である市九郎と、その仇を追い求め討ち果たそうとする実之助。立場は逆であるのに、どちらも同じく果てしない人間としての苦しみに向き合って生きてきた。

これは、古い時代の話ではなく、普遍の物語だとわたしは思った。古びることのない「人はどう生きるべきか」という人間の永遠のテーマが込められていると感じた。いまの世は、憎しみが憎しみを呼び、それがさらに恨みを拡大させて、報復の連鎖が続いている。だからこそ、『恩讐の彼方に』の結末に、わたしは人と人が同じ目的に向かって信頼を築き、憎しみと恨みを超えたその彼方に、希望を見いだすことができるのだと胸を打たれ、その人間観に圧倒された。

諸君、わが盈進も、もっと信頼し合い、許し合い、希望を求め合う集団となろうではないか。

人生の可能性をどれだけ広げられるか。それは自分次第だ。他者から与えられるものには限界がある。しかし、自分から求めれば、その可能性は尽きることはなく、さらに大きくなる。

昨年、北海道大学へ進学した剣道部の民宅くんは諸君、後輩へのメッセージでこう言っていた。

「できる!を口癖に!」と。「やらなければできない。やればできる」。それだけである。

進級する諸君にますます期待する。そして、諸君が本当の新しい盈進の、そして、答えのない新しい時代の真のChallengerであり、Pioneerになると信じている。

昨年度、わたしは諸君にインド独立の中心となったマハトマ・ガンジーのことばを紹介した。

Be the change you want to see in the world. (あなたがこの世界で見たい変化にあなた自身がなりなさい)そして、Be a Changemaker! 変わるんだ。自分が。変えるんだ。自分たちで。

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